広島市安佐南区から市政を新たに! みんなでいっしょに変えて行きましょう!
石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
改めて、広報委員会の視察にて、8月1日より3日まで仙台・東京へ行って参りました。
まずは、仙台市が発行されている「広報紙」についての編集手法、議会への理解・関心を高める為の訴求法。
並びに、震災時の対応等々についてお話を伺う事に。
広島市を“相対的”に捉えるにあたっても、昔から地方中枢都市の代表格として比較される…
「札(幌)仙(台)広(島)福(岡)」(さっせんひろふく)。
その一角を担う「仙台」の取り組みを、これまた現地にて実際に触れる事が出来たのは大きな収穫。
何せ、「それは東京の様な大都市だから可能なんだよ」なんてエクスキューズは通用しない。
正に、街の規模が似た者同士“リアリティ”の持てる「現場の声」ですから。
「こうしたアイデアを用いて」「ここには民間が介入して」「広島市と違い、この部分には予算を組んで」etc。
広島市の「足りない」点も把握できれば、逆に広島市の「良い」点も再認識したり。
また、被災地である仙台市(宮城県)の職員と言うよりは「現地人」から震災時の状況に。
「マニュアル順守」により起こってしまった惨事、災害時の議会対応に広報活動へ至るまで。
私も議員として、一人の人間として沢山の事を学ばせて頂き、大変、有意義なる「初日」となりました。
翌日(2日目)は、仙台市の中心地から東側の沿岸部。
甚大なる被害を受けた地域の視察となりましたが、町が、商店街が、津波に飲み込まれ、根こそぎ持って行かれている状態。
大地震発生の3月11日から約5ヶ月が経過して、瓦礫(がれき)の撤去作業は、かなり進んでいたのですが…
それでも、目の前に広がる“被害の及んだ光景”に声を失ってしまう状況。
写真1枚目は、瓦礫が集積されて出来た「丘」なのですが、幾つも見える重機(ショベルカー)からしても。
その大きさ、量を物語ります。
また、2枚目の写真。これは津波で破壊された「1台のバス」であり。(右端に車輪が見えます)
3枚目の写真は、海岸線から3、4キロ離れた公道脇に打ち上げられた漁船となりますけども。
こう言った、非現実的な場面に次々と遭遇する事に。
引き合いに出して申し訳ありませんが、実際に現地へ向かったならば…
「1万2千人の住民の内、1万人が亡くなられた町もある」、その実情が痛いほど飛び込んで参ります。
そんな中、現地ドライバー(運転手)の方が、他県の方々に対して幾度も「感謝」を口にされていたのは印象的でした。
「沢山の方々が復興に力を貸して下さっている」「有り難い」「本当に有り難い」と。
私共はスケジュールの都合上、今回は一定期間のボランティア活動すら現地では行なえませんでしたが。
この度、対応して下さった仙台の方々をはじめ、亡くなられた方々の無念に報いる為にも。
そして、「市民の代表として頼んだぞ!」と私を選び、議会へ送り出して下さった広島市民の方々の「意図」。
つまり「石橋が議員として沢山の事を学び、成長をして、それを地域に還元、貢献しなさい」との願いに応える為にも。
この視察で見て、聞いて、感じては学び、吸収した事を。
今、「生かされている」自らが今後に「活かし」、これからも真摯に取り組んで参ります。
視察3日目の東京に関しては、追ってご報告を。
投稿日 : 2011年8月04日