共にタイトル奪取へ

この度、私、石橋竜史は2000年の後期より務めさせて頂きましたサンフレッチェ広島のスタジアムDJを卒業させて頂く次第となりました。


改めて、サポーターの皆様、クラブ、選手、関係者各位へ、今日までの日々を深く深く感謝、お礼申し上げます。


敢えて申し上げるまでもなく、溺愛する職場だった、広島ビッグアーチのアナウンス・ブース。


全ての発端は、1997年へと遡ります。


当時、私はアメリカで暮らしていたのですが、根っからのスポーツ好きが高じ。


アメフト、野球、バスケ、ホッケーの「4大プロスポーツ」会場へ足を運んでは、向こうの場内演出を徹底して学んでいました。


帰国後、自らで企画書を作成しては…


「日本でも、こう言った映像と音楽を使用してはスポーツ興行を盛り上げませんか?」と各プロスポーツ団体へプレゼンさせて頂くのですが。


当時は、まだ野茂英雄投手が海を渡ってドジャースでルーキーとしてプレーしていた頃。


サッカー界で言えば、中田英寿氏がイタリアのペルージャでプレーする前であり。


国内では、現在ほど「海外のスポーツ」が市民権を得ていない時代。


故に、「日本で、そう言った演出は考えていない」「他球団が取り組んでいない」との理由から、全く相手にされませんでした。


そんな折、ある大きなスポーツ・イベントでMCを務める私に目を付け、スタジアムDJとして採用して下さったのが…


我らが「サンフレッチェ広島」であります。


就任当初も、当然ながら海外の場内演出を“そのまま”持ってくれば良い話でなく。


これまで、国内で行なわれていない演出に、郷土色を含め、日本の良さを融合させた「新たな広島独自の演出」を創出したく。


それは試行錯誤の日々。


BGMを選び、スタジオで加工して、自らのナレーションも吹き込めば、映像関連にまでもオーダーを出し。


根本部分の“演出に関するタイムテーブル”にも口を挟む。


就任前、就任当初からも、ベテランの先輩技術スタッフへ対して、失礼を承知ながらも厳しい要望を忌憚なくさせて頂いた。


また、当時は昨今の様に“楽曲(音源)のダウンロード”など無い時代で、開門後に会場で流れる、俗に言う歌謡曲(BGM)ですら。


ちょっと恩着せがましくて申し訳ありませんが、膨大なる枚数になりますけども、全て自腹で購入していたり。


そんな下世話な話はさて置き、それだけ全てを捧げては打ち込んでいた、本当に、本当に心底、楽しい職場。


「職場」と言うよりは、毎回、いちサポーターとして応援に駆け付けていたも同然。


何よりも、就任までの私は、お笑い芸人にアナウンス業。ナレーター業やラジオDJ等をやっていたので。


培って来た全ての経験を「融合させては活かす機会がやって来た」とばかり、常にマイクの前では“水を得た魚”状態。


その節は、ハイテンションで多大なるご迷惑をお掛け致しました。


でもでも、顧みれば濃厚なシーンの数々が思い出されます。


初めてのJ2降格。翌年は「何としても1年でのJ1復帰」を掲げ、選手紹介も毎試合、観客席から行なっていました。


そして、ホーム最終戦。小雨の降る中、劇的な1年でのJ1復帰。


ヴァレリーの攻撃的なサッカーで、後期シーズン「3位」の躍進もあれば、超守備的な戦術を強いられた苦しい時期もあった。


2008年の天皇杯決勝では、大晦日からバス・ツアーで国立に参戦。


サッカーファンの聖地において、サンフレ・サポーターの方から要望を頂戴しては、スタンドから拡声器で選手紹介をさせて頂きました。


あれは本当に嬉しかった。試合後は、敗れて号泣してしまいましたけど。


2009年は、調子乗り世代の躍進で年間「4位」につけ。


翌年、アジア・チャンピオンズ・リーグに出場しては、我々の聖地ビッグアーチで、サンフレッチェの国際試合も開催された。


そして、やって参りました!


ヤマザキ・ナビスコ杯の決勝において、再び国立で、今度はアナウンス・ブースにて選手紹介。


全てが、紫の仲間と共に一喜一憂した、尊い思い出。


スタジアムDJとして“タイトル獲得”に立ち会う事は出来ませんでしたが、一切の悔いはありません。


我が人生において、サンフレ・サポーターの皆様に、仲の良い全ての選手・関係者を含め、「サンフレッチェ広島」に出会えた事を。


心から、心から感謝いたします。


私を見い出しては、常に一緒に苦楽を共にして来た場内演出ディレクターは言って下さった。


「石橋君が、あらゆる人をつなげてくれた」と。


身に余る光栄です。


私が就任する以前、演出スタッフと球団職員の方々との間では、事務的な関係はあれ、そこまで密な交流はありませんでした。


それが、試合後も、私は相手が会長だろうが誰であろうが、キャッキャ言っては全ての人々と握手を交わし勝利を喜ぶモノですから。


いつの間にか、あらゆる関係者の垣根を越えた「交流」が生まれていました。


それは、スタッフと選手間であったり、サポーターの皆様との間でも同様。


そして、次第に双方を結ぶ意見交換が普通に行なわれる様になっては、忘年会などでも呼んで呼ばれる関係が築かれていた。


微力ながら、多少なりとも、そう言った「連携」に寄与できた事は、自画自賛で恐縮ながら、我が功績として自らを褒めてあげたい♪


それはそれは、長年にわたり、一生懸命、クラブの為に尽くして参りましたので。


さてと。


長々と書き綴って参りましたが、この度、私が卒業させて頂くのは、サンフレから距離を置くわけではありません。


ある意味、サンフレの環境改善を含め、スポーツを通じて街を活性化させる為に「立ち上がった」と言っても過言ではない。


最後に、お世話になった皆様へ“一言”述べさせて頂くならば。


スポーツを含めた、皆様の生活環境を「より良く」して行く為、まず求められるは、自らの意思表示。


誰を応援するでも、誰に託すでも構いません。


周囲へ徹底して呼び掛けては、必ず…


「選挙へ行きましょう!」


長い間、本当にお世話になり、誠に有り難うございました。


今一度、心から感謝。


元サンフレッチェ広島スタジアムDJ。


石橋りゅうじ

投稿日 : 2011年3月25日

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