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日記|DIARY
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今朝、ナレーションへ向かうべく身支度をしていたら、朝の番組「とくダネ!」に…
チラっとしか見られなかったのですが、「神田瀧夢さん」(かんだ・ろむ)が映っていました。
そう言えば、以前、夜の番組「ザ・ベストハウス123」の『知られざるサクセスストーリー!海外で大スターになった日本人BEST3』において。
同氏は、「史上初!全米ネットワークTVで、自分の番組を持つ男」で見事1位にも輝かれていたっけ。
要約すれば、アメリカには強大であり伝統ある「三大ネットワーク」と言うテレビ局がありますけども。(ABC、CBS、NBC)
そのABCのゴールデン・タイムに放送されるバラエティ番組で、日本人として初めて司会を務めたコメディアン(タレント)が…
神田瀧夢さんです。
嗚呼、懐かしい♪
添付した写真は昔のスケジュール帳ですが、「1992」の下に、アルファベットで「HORIPRO」と刻印されている。
そう♪まだ私がホリプロでお笑いをしていた時のスケジュール帳で、朝の「とくダネ!」を見た後に、「あれ?まだ持ってたっけ?」と探してみたら…
本棚の隅から出て参りました。
と、申しますのも、私は「何かを大事に取っておく」と言った具合の“懐古趣味”を持ち合わせておらず。
しかも、高校を卒業して、国内外で20回?30回以上は引越しをしているので、過去の写真なり、身の回りの「想い出の品」が殆ど現存していない。
で、貴重?なスケジュール帳のページを開けば、当時、お世話になっていた方々の電話番号が載っています。
まだ携帯もなく、家の留守電のメッセージを聞いては、コール・バックしていた時代の話。
当時、さまぁ〜ずさんと同期で「テンション」と言うお笑いコンビがホリプロ内に存在したのですが、テンションの「田口さん」とは…
現在、性格俳優や映画監督としてもご活躍されている、田口浩正さん。
そして、テンションの「小浦さん」と言うのが、太って踊れるピン芸人としてご活躍の芋洗坂係長こと、小浦一優さんです。
そこへ並ぶ、「神田瀧夢」の文字。
当時、私はホリプロの“お笑い班”で、瀧夢さんは“俳優班”に所属されてました。
それから&それから、「私の人生に多大な影響を…」と言って何の過言もなく、例えば私の要約されたプロフィールをご覧いただいたらば…
「19歳よりホリプロ“お笑い部門”に所属。お笑いライブやテレビ等に出演しながら、連日、渋谷のイベントホールで、ディナーショーのMCや歌にとマルチに活動。同時にアナウンス業や演技も学ぶ」。
「新たなステージを開拓するべく、95年・秋に渡米。NYを経てカナダのトロントに渡り、多国籍FMラジオ局で生番組『サタデーナイトジャパン』のDJを務め、97年に帰国。98年よりフリーアナウンサーとして…」。
上記に“渋谷のイベントホール”と言う件(くだり)がありますが、ここは、渋谷109の横に「ザ・プライム」と言う大きなビルがあり。
当時、その6階フロアが全てイベント・ホールとして使用されており、時に同スペースを石田純一さんなどもプロデュースされるなど、様々なイベントが行なわれていた。
そこで、私は連日“司会”を務めていたわけですけども、私の前任者が…
神田瀧夢さん♪
そもそも、神田さんが連日“司会”に入られていたのですが、俳優業も兼務されており、常にステージへ上がれない。
ならばと「後任探し」のオーディションが行なわれ、受かったのが私であったと。
しかも、上記の私のプロフィールには「95年の秋に渡米」ともあり、このキッカケとなる…
「海外は!アメリカは良いぞ!」「行け竜史!」と常に話をして下さっていたのが…
田口さんであり、神田さん。
それこそ、スピードの早い業界での話で、徐々に神田さんとは疎遠になれど…
「その後」の神田さんの行動力たるや、相変わらずと申しますか、流石です♪
何でも、33歳でアメリカはNYに渡り、観光ビザ(3ヶ月間)での滞在中に、向こうで弁護士を探しては永住権の申請をして帰国。
帰国後は、ひたすら貯金をして、再び渡米。
幾度も「トライ&エラー」の“挫折”を繰り返し、アメリカのテレビ局でゴールデンの司会を務めるまでになったと。
私とて、同様の夢を抱いて渡米したのが、26とか27歳の時でしたが…
普通、33歳で夢だけを追いかけて渡米しますか?(笑)
求めよ!さらば与えられん!
叩けよ!さらば開かれん!
まずは求めて、しかも叩かないと♪
かく言う私も、未だ壮大な夢を持ち、今後も様々な事にチャレンジして行く所存。
偉そうに言うでなく、まだまだ人生の出発地点ですから。
恐縮ながら…
今後の石橋竜史に、乞うご期待!!! |
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