[an error occurred while processing this directive]
日記|DIARY
|
朝から夕方まで企業イベントでガッツリと喋った後は…
カープファンの集いに参加して、「市民球場・跡地問題」について基調講演をさせて頂きました♪
同年代のみならず、人生の諸先輩方へお話をさせて頂くにあたり。
「私の様な若輩の話を一体“どれくらいの熱量”で耳を傾けて下さるのかな?」と話をする前は多少の不安を抱いていたのですが…
資料を手にコチラが喋り始めれば、その不安は一掃!
皆様が、それは神妙な面持ちで、うなずきながらも私の話を真剣に、それは真剣に聴いて下さるのです。
ただ、話の導入部分が下記の通り。
「そもそも、私は昔から訴えております」。
「この“跡地”との表現や、旧市民球場の“旧”の部分に違和感を感じずにはいられません」。
「結局、『それ相当の時間と経緯を辿ってココまで来た』と言われたりしますけども」。
「カープが移転した後の市民球場(あのエリア)を如何に活用するか?を模索するスタート地点の段階から…」。
「どんなに『広く市民の意見を募集する』『反映させる』と美辞麗句を並べられたとて、もう前提が“解体後”なのです」。
「解体後の前に果たして“存続”に関して十分な議論が行なわれたのでしょうか?」
から始まるので、もう「基調」ではなく、次の「討論」へと突入しております(笑)
また、同エリアに関して「今後の活用法」を検討するなれば、私共とは完全なる逆のアプローチ。
「市民球場を完全に解体しては新たな空間の誕生を望む」と言う声があるのも確か。
誰もが皆、保存であったり再活用ばかりを望んではいない。
その意見は意見で、人それぞれの受け取り方があり尊重します。
ただし!
「ならば解体後、今後の街の行方を左右すると言っても過言ではない中心地を如何にプロデュースして行くか?」
となった際、「お菓子博」の開催以外、明確に何が示されたのか?
全て、「希望」であったり「未定」の連続。
この度、そのイメージパースの作成を市側は東京の業者に委託しておりましたけども。(NTT基町クレドや白島キューガーデンの建設業者)
この業者さん(担当者)の“現場の生の声”を、市側は耳にした事はあるのでしょうか?
では「お前さんは?」と問われれば、「ある」。
ただ、ここで克明に明記は致しませんけども、とどのつまり、請け負った業者さんは「水の都」と言うビオトープ案を掲げていた。
言うなれば、「球場跡地を公園化してはプチ自然を設ける」案だったのですが、そこへ折り鶴の展示施設案に商工会議所の移転計画案まで盛り込まれ…
コンペも何もかもがスっ飛んでいて、「コレをどうしろ?」って話。
ちなみに、もう周知の話であれ、折り鶴の展示施設を「発案」した建設事務所は。
広島プリンスホテル(当時の名称)の建設を請け負えば、新市民球場の「デザイン選考」にあたり、選考委員長を務めた人物の事務所でもある。
繰り返しとなりますが。
「カープが移転した後の市民球場(あのエリア)を如何に活用するか?を模索する」にあたり。
当初、市民・各種団体から377件、民間事業者から26件、経済4団体から1件、合計で400以上もの提案が寄せられ。
当然、その中には「市民球場を残しながら再活用しよう」との提案も多く見られるなど、本当に多種多様な提案が存在しながら。
コンペの結果は、前述の“昔から広島に馴染みの深い”2業者が「受注」。
別に「出来レース」とまでは言いません。
でも、冷静に周囲を見回して。
「街の中心部に折り鶴を展示しよう!」「小さな自然を再現しよう!」と望む人々が、どれだけいらっしゃるのか?
無論、「皆無」とまで行かずとも、「市民不在」の感は否めません。
実際の話、広島の街では、この種の疑念や疑惑が水面下でも無数に飛び交っています。
一例
この新球場に関しての話題とて、同資料の作成前より、私共の間では有名な話。
現状としては、良い悪いは別にしても「知られない広島」「報じられない広島」は、まだまだ潜伏しているのです。
そこで、話は冒頭に戻りますが、この「市民球場・跡地問題」にしても。
声すら上げなければ、静かに、それは潤滑に市民球場が解体されていた事でしょう。
きっと、これまで通りに。 |
|
|