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日記|DIARY

2009年12月26日  連帯責任


世界を結ぶ広大なネット上に浮かぶ、小さな小さな“当ブログ”ですら…


取り上げるのを“ためらう”話題の続報が、昨日から本日に掛けて報じられておりました。


ヘッドラインは「日本オリンピック委員会(JOC)は広島・長崎の共催を認めず」。


未だ「招致の検討段階」の話であり、何の結末ではないにせよ。


結局は、否定や肯定でなく、辿り着くべく着地点に「向かっているだけ」の話。


この話題の行方を左右する「五輪憲章」の一部を、簡略して記すなら…


「国境や民族の壁を越え、アスリートが(観客を含め)がスポーツを通じて一箇所に集い、親睦を深める」


この“単独地開催”と言うの根幹部分を、「平和と過去の歴史」を掲げて突破しようと試みる。


そこで、「スポーツを純粋に堪能!謳歌したい!」と願うアスリートや観客、関係者など「開催地へ訪れる側」の立場から考えれば?


広島の空港に降り立って「競技場まで」も結構な距離を要するのに、ましてや広島・長崎間を行ったり来たり。


正直な話、「頼むから共催は止めてくれ」が本音なのではないでしょうか。


普通に考え、この時代に「平和を望まない人々」など居ない。無論、「核兵器の廃絶」しかり。


しかし、この平和活動に“率先して”賛同しなければ、どこか罪悪感に苛まれたり、周囲から良からぬイメージを抱かれたりもする。


この辺りの風潮が、諸悪の根源なのかもしれません。


普通に「全く切り離して良い話」です。(当然、結びつける事が悪いでなく)


また、周辺都市の“長”達もオートマティックに活動主旨を絶賛しながら「招致検討委員会への参加」を表明していますが…


どこか他人事で、「対岸の祭」状態。


続いて登場して来た下記の見出しにしても。


「20年五輪 広島が単独で五輪開催か」



「広島市長は25日、五輪の招致に関して、単独立候補を模索する考えを明らかにした」。


再び言及するのも何ですが、JOCなりIOCから「では広島で五輪をお願いします」と言われ。


最も困るのは、市民も含めた、他ならぬ「広島」です。


当然、「我が町」で世界最大級の祭典が行なわれるに越した事はありません。


しかし、これだけ肥大化した祭典を開催するにあたり、いくら市長が口にする「簡素な大会開催」を目指したところで。


広島には、財政にインフラも含めて「不足しているモノが多い」なんてレベルの話にあらず。


「足りない」ではなく、「無い」のです。


そこへ、あのアジア大会後の負債で“今なお”苦しんでいる広島に、より一層の負担を必ずや「莫大」に強いる事となる。


規模から言っても、五輪はアジア大会どころのスケールではありません。


この辺りの「一部の暴走」を止められる、せめて問題提起できる人物が周辺都市の長に存在したらば。


メディアも含めた市民意識の「地盤」が、この広島にあったならば。


話は飛躍しますが、まだ記憶に新しい前述の94年に開催された広島アジア大会。


当時は、この祭典へ向け、市などウン千億円もの資金を注ぎ込んで交通網を含めたインフラ整備を行いました。


大会メイン会場の広域公園が完成したのが92年で、新交通システム(アストラムライン)完成が94年。


県規模で言えば、その間の93年に広島空港が“現在の場所”に開港しています。


返す返す、「そのプランで大丈夫なのか?」と言う声を挙げ易い、また、そこを聞き入れて検討する「地盤」が地域にあれば…


現在の広島が、数倍は便利で住み易く、かつ魅力的な街になっていた事は言うまでもありません。


何かを招致しては、その為に莫大なお金を注いで都市を整備する。


何かの招致を試みては、それで名を売ろうとする。


こんな旧態依然としたシステムを許して来たのが…


今も許しているのが…


この「広島」なのです。

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