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日記|DIARY
2009年5月12日 世代の仕業あれこれ
いつも、どことなくビールの香りに包まれていた薄暗いコンコース。
そのトンネルを抜けると…
目に飛び込んで来るのは、すり鉢状の観客席と、深い緑の簡素なスコアボード。
そして、これからドラマが生み出される、黒土と天然芝のグラウンド。
この瞬間は、幾つになっても何度経験しても感動を覚えたものです。
幼少の頃より、幾度も足を運んだ市民球場。
いつも、当たり前のように、そこへ存在していました。
朝から晩まで白球を追いかけていた、高校球児の頃。
ベンチに入れない下級生は、観客席で応援団の一員として試合に参戦。
高校野球の慣例ですが。
試合前、そして7回に突入する際、両チームを通して必ず行なわれる「エール交換」。
「フレー」「フレー」の後に、相手高校の名前を味方全員で叫ぶと。
ダイヤモンドを挟んで対面している相手側の応援団席より、惜しみない拍手が送られて来ます。
と同時、向こう側からも同様のエールが送られてきて、またコチラは惜しみない拍手を送る。
やって、やられた者ならば解る、何とも清々しい大好きな一コマ。
そう言えば、動きの遅い身長180cm以上はある控え投手のチームメイトが、ゆっくりと応援団席に戻って来ている最中。
正に、点と点。
高々と天空に放物線を描いたファールボールが。
彼の命とも言える右肩に直撃。
これまた坊主頭のチームメイトと、彼を指差して死ぬほど笑い転げたっけ。
「ボールから目を離すなよ」って。
また、怖い先輩方が。厳しい練習を共に乗り越えて来た先輩方が、決勝まで駒を進めたにも拘らず。
この場所で敗退。
声を枯らした応援団席で、人目をはばからず泣き崩れました。
そして時は流れ、自らがレギュラーとして、主将として迎えた甲子園を目指す夏の県大会。
市民球場のグラウンドに初めて足を踏み入れる。
押し寄せる感動と迫り来る太陽の暑さで、冷たい汗が一筋、ゆっくりと背中をつたって流れて行った。
今でも鮮明に蘇って参ります。
ガキの頃から、ある種、甲子園より夢にまで見た市民球場で。
9回裏2アウトまでリードしながら。
サヨナラ負け。
放心状態のまま、試合後、市民球場の正面玄関前。
鬼の様な監督から。
「お前達は3年間よく頑張った」と一言。
バスタオルが絞れるくらい泣いたものです。
先人の懐古趣味に囚われていると、後生の新たな思い出が作れなくなってしまう。
故、決して市民球場に固執している訳ではなくとも。
本当に今年「解体」しなくてはならないのか。
その理由とは。
先日、久々に市民球場へ足を運ぶと、行なわれていた社会人野球。(当サイト・映像コーナー参照)
バックネット裏には、頭にタオルを乗せ扇子で涼を取る観客の姿が。
お馴染みの原風景。
もしも、この球場が数ヵ月後に産業廃棄物になったならば。
それは市民が選んだ道なのです。
なんら抗うこともなく、全てを従順に受け入れた。
市民の選んだ道なのです。
それを良し悪しと“皮肉を込めて”表現しているのではありません。
1950年代半ば。
当時の市長や市政が反対しようとも、当時の市民の熱気があの場所に市民球場を誕生させた。
2009年初秋。
現在の市長や市政が解体へのレールを敷き、現在の市民がそれに追随するだけの話。
誕生させ得る熱い世代が球場を誕生させ、解体させてしまうであろう静観の世代が解体させる。
唯一の救いは。
市民球場云々の前に、「アンフェア」に対し「アンフェア」と声を上げる市民の方々が。
今の世代にも沢山いらっしゃること。
そしてまだ、何も決まっていないこと。
私は職業柄、聞きかじった話や受け売りで何かを何処かへ導く下心など無い。
自らの足で、あらゆる方面に出向き。
無数の人々に取材を慣行。
結果、自らのフィルターを通した声を上げている。
一点の曇りも無く自信を持って言えるのは。
解体しようと動いている組織より。
まずは「解体の是非を充分に問うべきだ」と唱える我々の方が。
120%「フェア」である。
何故なら、利害が一切関与していない。
フェアだけでは物事が成り立たないのならば。
大した平和都市である。
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