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日記|DIARY

2009年5月08日  心のリセット



本日、現場が終わり時間が出来たので、現在、市民球場で行なわれている「折鶴の展示」に足を運んで参りました。


己を美化、正当化するつもりは毛頭ありませんが、私は以前より「折鶴」を否定した事はありません。


平和を願う人々の想い。その行為。「折鶴」に関する歴史的な背景。


何らネガティブな思想は抱いておりません。


ただし、これまた以前から発信している通り、「折鶴すら折らないで済む事が日常」である平和な世の中であって欲しく…


“コマーシャリズム”を自作自演するが如く、「平和=折鶴」で全てを押し通さんとしているスタンスには、どこか疑念を抱いています。


否定ではありません。それで「大丈夫なのだろうか?」「正解なのか?」と言う素朴な疑問です。


よせられた折鶴は、一定の期間、捧げられた後、火にくべて供養させて頂くなり、長崎の様に再生紙として活用する方法もある。


何も、街のド真ん中に「施設まで造った後、展示する必要性はあるのか?」と。


こうなった場合、たかが自らの小さな人生経験により生み出された「固定観念」に固執する、「既成概念」に囚われる事は絶対にNG。


故に、「実際に折鶴を展示してみたらば、どんな感じになるのだろう?」と足を運んだ次第です。


心をニュートラルに保つならば、「折鶴の展示って素晴らしいな♪」と新発見に繋がるかもしれませんから。


そして、市民球場内。


そこには、平成20年度の1年間に捧げられた折鶴「1300万羽」が5つの部屋を使用して展示されていました。


感想は…


普通に綺麗でした。色鮮やかですし、折鶴で何かのデザインや文字をかたどったモノも多数あり、何より「数」が集まると、やはり訴えて来るモノはあります。


また、世界の子供より(子供のみならず)「平和な世界でありますように」「いつまでも、みんなと一緒に遊べますように」と温かい想いが各所に書き綴られており、格別、圧倒されたり不気味な感想を抱く事もなく。


その結果、我思ふ。


「これで良いではないか♪」(あくまで完全なる個人的な感想で、今後、その方向で動いて行く云々ではなく)


市民球場の正面玄関、並びに1塁側から3塁側の頑丈で趣もあり、何より「復興の顔」である部分は残す。


その建物の中に「現在と同様」、折鶴を展示すれば良いのでは。


我々も、昔より“同場所”のあらゆるスペースを利用して、広島にまつわるスポーツや芸術、音楽の「ミュージアムにしよう」と訴えておりましたから。


税金を注いで、この不況の中で一生懸命に寄付を募って「新たに展示施設」を造るより、「これで良くないですか?」って話です。


そして、実際に足を運び、改めて抱いた所感は…


変わりませんでした。


無理に展示する必要はないと思われますし、現存する平和祈念公園内の「折鶴の場所」を、より充実させれば良いのではないか?と。


でも、何より市の長が固執してらっしゃる。


ならば、もう具現化してるではありませんか。返す返す、「平和」とは“形式”に囚われたモノではないのです。


わずかな「搬入」と言う超低コストで「長の夢は実現した」と言えるのではないでしょうか?


さて、次のステップです。復興のシンボルを「広島のシンボル」として残しながら、どう再活用して行くか?


私は折鶴の展示を見学した後、市民球場の観客席に移動。そこで偶然にも行なわれていた社会人野球を観戦したのですが…


あんな綺麗で立派な球場。思い出の詰まった歴史的な建造物。


解体する必要など、どこにもありません!


なかなかイマジネーションが湧かぬなら、3枚目の写真。これは、1957年に市民球場が「造られている途中」の模様ですが…


解体されるならば、あの生きている歴史的な建造物が、写真と同様の姿へ返って行くのです。


まだまだ、あんなに綺麗で、あんなに温かい「生きた球場が」です。


大リーグ、松阪投手の本拠地、フェンウェイパークが誕生したのは1917年、阪神甲子園の誕生は1924年。


両球場共に“現役バリバリ”で、今なお沢山のファンの方々に愛され、夢の空間を提供し続けている。


今一度、誰もがフラットに考えるべきです。


52年もの長きに渡り、人々が憩い、夢と希望、活力を結んだ“大樹”の様な市民の球場。


切り倒したら、もう2度と元には戻りません。


もう2度と。

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