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日記|DIARY

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先日の「球場跡地を考える」と言うシンポジウムの話。
一般の通行人の方々に対して「球場跡地を何に利用したいか?」と言うアンケートを取ったところ、1番多い回答が「広場」でした。
次に「子供達向けの遊具施設を含めた公園」、「スポーツ施設」と続きます。
これが、正に「ザッツ・一般的」な捉え方です。(無論、私ごときが茶化したりバカにした言い方ではなく)
「何にしますか?」と問われれば…
「古いのだったら解体して広場にすれば」、「子供達や家族連れがアクティブに利用できれば良いわね」。
「質問」に対する「回答」として、条件反射(フィーリングや直感)的に考えれば、誰でもそう思います。
これこそ、在広のメディアからの報道が「現状報告」ばかりで「問題提起」が不足している“顕著な例”と言えるのではないでしょうか?
何が言いたいかと申しますと、家族連れならば、親心を酌んでも「平和公園の前で子供達が明るく楽しく走り回って欲しい」と願うでしょう。
私だって、目の中にブチ込んでも痛くない愛娘を抱えるイチ父親。同様の思い、願いは多分にあります。
しかし!ならば、県外から「そこ」を目指し、わざわざ家族連れが足を運ぶか?広場で遊んだ人々が、周辺で宿泊するか?
皆無でしょう。(若輩な私の見識眼を通した独断と偏見からですが)
「何か人々を呼ぶイベントを打つ」を含め、同様の用途は、ちょっと北側に位置する中央公園で「充分に」まかなえます。
また、戦争を知らない世代である己が、分かった風に「平和!平和!」と唱えるのは甚だ恐縮ですが、でも、広島に住んでいるのならば「発信」するべきである。
そうなった場合、「百聞は一見に如かず」ではありませんが、平和記念公園(資料館)を訪れると、心底「この過ちは2度と繰り返してはならない」と痛感させられます。
ならば、国内のみならず、世界からも何か機会があれば(無論、率先してでも)1度は人々に平和記念公園へ足を運んで頂きたい。
例えば、何の宣伝すら行なわずとも、年間に一定の人々は平和記念公園を訪れて下さる。仮に、その数字を分かり易く「100人」(仮定)としましょう。
跡地利用を「広場」とした場合、冷静に客観視して、この「100人」に何人を上乗せ出来るでしょうか?
訪れる人々は、市内近郊の方々が圧倒的に大多数を占めるでしょうから。
しかし、これは不謹慎な例ですが、跡地に「ディズニーランド」が誕生したならば(国有地等の縛りで無理ですが)「2000人」(仮定)は全国から足を運ぶ。
すると、その「2000人」の内、宿泊してでも隣接する記念公園へ、どう少なく見積もっても「300人」は足を運んで下さるでしょう。
これだけで、時に増加する年はあれど、長崎を含め、年々減少傾向にある平和記念資料館への来場者が年間「400人」(仮定)になるのです。
「利用法1つ」で。
しかも、仮に「広場になった」と言えど、年間には莫大な「維持管理費」が必要となります。
広場で入場料は発生しない。「そこ」へは、未来永劫に税金が注がれて行く。
そもそも、50億円以上の「補強費」が費やされた、まだ充分に現存できる「復興のシンボル」(何よりの平和復興の象徴!)を解体した後にです。
解体には「市民球場の為に」の名目で長年に渡って積み立ててきた基金があるので。
「あるから、あるだけ使う」とは相いも変わらず愚の骨頂。
市民の為に、未来の為に「貯めておけよ」って話であり、使い果たす必要など何処にもない!
「広場が良いって沢山の市民が言ってますよ!」と報道する前に、「広場や他の利用法を用いると、こんな功罪が生まれます」を提起、啓蒙、周知させるのが在広メディアの仕事でしょう。
そこが徹底、浸透して初めて「やはり広場が多いみたいです」ではないでしょうか。
実際に、問題提起や功罪の検証に取り組んでらっしゃる報道機関も沢山あります。でも、その「発信量」が絶対数に少な過ぎる。
周囲で実情を“そこそこレベル”でも詳しく把握している方がどれだけいらっしゃるでしょうか?
故に、安直に「広場」などの意見が飛び交ってしまうのです。
「我々が!」などと思い上がった自らへの過大評価など間違っても行いませんが…
周辺地域の方々。商業施設の方々。市議会の先生方をはじめ、沢山の方々が「待った」を唱えて下さらなければ…
今頃、無条件で「復興のシンボルは解体され、大量の折鶴がド真ん中に展示される方向」で決定していた事でしょう。
この21世紀に…
あり得ないって。 |
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