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日記|DIARY
2009年3月11日 正解はなくとも求められる適性
この不況の最中、「お仕事を頂ける有難味を痛感する」と申しますか、昨日もナレーションで複数の現場を回って参りました。
とは書き綴ってみたものの、「世間が好景気であった」であろう時代でも…
私はフリーで活動する身。今も昔も、常に片足は土俵の“とく俵”に掛かっているので、「未曾有な不況の今だからこそ感謝する」と言う感覚はありません。
誰に偉そうにするでなく、かと言い、誰に媚びへつらう事もないスタンスで、「私ごときが喋らせて貰える環境」を提供して下さる方々への感謝の念は不変ですから。
そんな中、これは自らの仕事に限った事ではないのですが、時にテレビを観ていても、送り手ではなく「受け手」の立場で“ある思い”を馳せる事があります。
それは、「適性」について。
例えば、上記の「ナレーション」の話をすれば、テレビではCMが流れて参ります。
コチラは“いち視聴者”として、それこそ何ら構えること無く「流れてくる作品(CM)」を正に傍受する訳ですが、作品によっては、途端、「スイッチが入る」ことも。
それが、「そのナレーションの声は(キャスティング)違うだろう」と言う、ある種の「遺憾の意を覚える」スイッチです。
このご時世、CMをテレビやラジオで流すにも、一定量の労力や金銭的なものは、言わずもがな必須。
そこをクリアして初めて、「クライアントの思い」が反映された作品(CM)が、不特定多数の方々へ発信され、享受される訳であります。
なのに、「なぜ!送り手サイドが作品のクオリティにこだわれないのか?!」と言う、私の中の無念な思い。
「その映像に、そんな低い声をあててどうする?」「この宣伝内容で叫んでどうすんだ?」「これ?素人のナレーターでは?」「声がこもっていてコメントが全く立っていない」等々…
ちなみに、どんなCMであろうと「全てのナレーションは私に任せろ!」と憤っているのではありません。
私の声にも、いくら声色を変えられると言っても「声質」はあり、極端な話、自らに頂戴したお仕事でも、「私が喋るのは構わないが、もっと適した声があるかも…」と言う思いを抱く時は正直あります。
前述の話ではありませんが、「時に素人の様なナレーション」がフィットする事もあり、一概に「上手なプロが良い」と言っているでなく。
そう!正に都度の「適性」。そして!「クオリティ」。
自腹を切って、自分のプロモでも作っているならまだしも、やはり「送り手」として、そこは突き詰めないと、こだわらないといけないと思うけどな。
それは、テレビ番組やイベントなどでも一緒で、「そのキャスティングとクオリティは、クライアントにも受け手にも失礼であろう」の遺憾の意は、自らを棚に上げますが、多いな。悲しいかな本当に多い。
そんな中、先日、WBCの第一ラウンドが東京ドームで行なわれましたが、この「東京ドームでの場内演出」は素晴らしかった!
基本は、アメリカのメジャー・リーグでやっている場内(会場)演出なのですが、そこに国際大会&アジア・バージョンの“アレンジ”が施されており、何ら奇をてらったり真新しい事は無くとも、返す返すお見事!
男性のスタジアム・ジョッキーも、声質と言い、アナウンスの内容からトーン、抑揚まで凄く上手でらっしゃり、「これだよね♪」と無性に嬉しくなってしまいました。
ちなみに、WBCテレビ中継の際、解説をされていた前ヤクルト監督の「古田敦也さん」の解説!
これがまた、珠玉!
同氏が持ち合わせている「野球の知識」や「野球観」。人前で喋るにあたっての「バランス感覚」。
解説は個人の趣向もあるので「何が基準で1番」など決められるモノではありませんが、私の中では、チャート圏外から「好きな解説者トップ3!」にいきなりランクインです♪
そんな一連の「良い仕事しやがるぜ〜♪」には、やはり「受け手」としても度々遭遇したいもの。
私など、「受け手」から、時に「送り手側」になりながらも「使用される側」なので、今回のテーマである「適性」に関するキャスティングには無介入ですが、「クオリティ」には直接携わっております。
今後も、どんな仕事を頂戴しようと、必ずや「一定のクオリティが保たれたモノ」を提供できるよう、引き続き精進して参る所存です。
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