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日記|DIARY
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例年、師走は「年末年始のスポットCM」や「テレビの特番」などのナレーションで慌しいのですが、今年は…
現在までのところ、お陰様で「例年通り」と言った感じでしょうか。
ただ、私への発注は別にしましても、業界全体で考えれば、CMや特番の制作が減少傾向にある事は確かです。
今年も幾度と無く、「仮押さえ」されていたCMナレーションやイベントMCのスケジュールが、スポンサー様の“自粛”により「その企画自体」が無くなったり見合わされました。
明けても暮れても飛び込んでくるニュースは「景気」であったり「円高」であったり…
私達の業界にせよ、その煽り、影響は見事に受けているので、より一層精進して参る所存です。
目の前の現場、一つ一つを大事に、悔いの無きよう全力投球して行く。
ちなみに、昨日もCMナレーションを複数の現場で行なって参りましたが、例えば「いち喋り手」である私は、どれだけ「一語一句」を大事にしているのか?等、ちと語って参りましょうか。
まるで、「良いですか?このバッティング・フォームの話は1度しかしませんよ!」と取材陣に対して大上段から振り下ろしてくる「イチロー語録」の如し(笑)
前述にも挙げた“ナレーション”で話をすれば、ナレーションと言えど、いわゆるミュージシャンの様に、「レコーディング」するタイプと、正に「ライブ」で生で読むタイプがあります。
そして、写真が私の読む原稿です。如何でしょうか?汚いでしょう?
習字みたいなモノで、読みの上手な方々は、あまり書き込み等も行なわず、ナレ原(ナレーション原稿)がキレイなんだと思われますが、私は…♪
何の弁解でもなく、出されたモノを初見で「直ぐに読む」ことは出来ます。書き込み等を施さなくとも。
しかし、それが生放送であったりすると、「百回に一回」のミスなり甘い部分が生じる可能性もある。ならば、その「一回」を限りなくゼロに近づけたい。
故に、私は自らが読む原稿に、ここまでの書き込みを行なっております。(書き込むと、その癖がついて必ずしも色んなケースに於いて「是」とはされませんが)
読むスピードも、文節によって、「早く読んだ方が雰囲気が出る!」「遅く読んで20秒間はナレーションで持たせなくてはならない」等のケースもありますので、その「読む速度」を書き込めば…
例えば「心」と言う漢字など、半分“眠りながら”でも読めますが、「こ」「こ」「ろ」と一語一句キレイに発音する「意識を常に植え付ける」為、そこにフリガナを振ったりもします。
しかも、「昔々、ある所に、おじいちゃんと、おばあちゃんが住んでいました」と言う生放送用のナレ原があったとすれば…
私は、「昔々、ある所に、」の次の部分、上記の先ずは基礎となる「おじいちゃんと、おばあちゃんが住んでいました」とのナレ原の横に、自らで「じいちゃんと、ばあちゃんが住んでたんだよ♪」と書き込んだりもする。
そして、どうするかと言えば…
生放送中にナレーションを読む際、「むか〜し、むかし、ある所に…」と、この辺りまで来れば、出演者(共演者)のリアクションやスタジオ内の雰囲気って把握できますよね。
「あっ!みんな『何が始まるんだろう?』と食い付いてきたぞ!」ですとか、「あれ?冒頭のナレーションでは、みんなの心をイマイチ掴んでないぞ?」とか。
その瞬間に、読みながら「どちらの文章を読むか?」を決めて読んだりしています。
ですから、「おっ!みんな期待して食い付いて来たぞ!コレはドライブ感を大切にしないと!」と自らの肌感覚でキャッチしたならば、急きょ「じいちゃんと、ばあちゃんが住んでたんだよ♪」に切り替えて読んだりと。
勿論、ナレ原に、そんな「保険」となる文章すら書き込まず、“てにをは”や語尾を読みながらも瞬時に削除やアレンジを加えて読むことなど、私に限らず喋り手ならば「常」ではありますけども。
話は戻りますが、「読む」や「喋る」にしても、それだけ一語や雰囲気、完成度を大事にして本番に望んでいる次第です。
そんな“陰の努力”と言えば恩着せがましいですし、その“取り組み”は、返って視聴者や聴衆者に判らない、見破られず「自然にその声や表現が届く」のがベストなのでしょうが…
せめて、周囲のスタッフには届いて欲しい時もあります。
「コチラは一回一回をコレだけ大事にして望んでるんだよ。果たして君は?」と。
何やら、面倒くさい話になって来ましたので(笑)分かった風な“物言い”はコレくらいにしておきましょう。
さてさて、なかなか明るい話題が無い昨今ではありますが、様々な報道によって「不景気」のイメージを植えつけられ“過ぎる”のも違う訳で…
今日も、空元気で良いので、張り切って参りましょう!
気持ちや言葉には「引力」があるらしい♪ |
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