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日記|DIARY
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唐突ですが、5月30日の報道から。
「旧広島市民球場を急いで取り壊さずにもっと活用方法を話し合おうという市民フォーラムが、地元の商店主らによって結成されました」。
「30日の集会には、地元商店街の店主や市民グループら約80人が集まり、市民球場をどうするべきか意見を発表しました」。
「広島市は旧広島市民球場の外野スタンドの一部を残し、大部分を市民広場にする計画を進めています」。
「しかし今年3月に市議会が旧球場の廃止条例案を否決するなど、議論が続いています」。
「集会では地元商店街の約120店舗が中心となって球場を急いで解体せず活用方法を話し合うための“市民フォーラム”を結成する事を宣言しました」。
「今後は、計画の見直しを求めた署名を集めるほか、年に数回、フォーラムを開き市長や市議会に直接訴える場を設けたいとしています」。
この報道を踏まえながら、本日、市役所で開かれた「広島市長・記者会見」の模様を伝える報道記事へ参りましょう。
「秋葉市長は記者会見で、旧広島市民球場を解体し、跡地に公園などを整備する計画について」。
「公園の完成予想図や周辺ににぎわいを作りだす為の具体的な方策を、6月1日に市民に公表し、計画への理解を求めていく考えを示しました」。
「この中で市長は『旧市民球場の跡地利用を着実に進める為には、球場の解体を行う必要がある』として」。
「今年3月の市議会で否決された球場を廃止する条例案を6月の市議会に再提案する方針である事を明らかにしました」。
「また市民の間で、球場の解体に反対する声が依然、根強い事については…」。
※『跡地を整備する計画はこれまで4年間かけて議論を行ってきた結果だ。4年間で性急だと言われたら何年かければ良いのか?』
『市民の意見をしっかりと聞き、反映して来たつもりだ』
「と述べて、あくまで球場を解体した上で、跡地の整備を進める考えに変わりない事を強調しました」。
さて、この上記にある「31日の報道」は“活字”となった記事ですが、実際に記者会見の模様を動画で報じていた“テレビのニュース”においては。
前記の「※」コメント部分の前に。
「この度のフォーラムなど、依然、市民から十分に協議を行なうべきとの声が上がってますが、その点については?」の質問を受けて、ある言葉を発しています。
それは…
「意味が分からない」と述べられました。
「4年もかけて市民の声に耳を傾けて来た。この期に及んで、まだ解体するな!とか、にぎわいが生まれない!とか言うつもりなのか?」ってなモノなのでしょう。
では、当初より本当にフラットな、ニュートラルな状態で、真摯に「市民の声」に耳を傾けて来たのか?
答えは、120%「否」と言えるでしょう。
2005年の秋に、「球場の跡地利用に関して、皆様の意見を聞かせて下さい」と市側が募集して、市民からは「378件」の意見が寄せられた。
そもそも、この時点で「跡地」と設定して、「球場の解体」を前提とした出発点なのですが、その378件+事業者から寄せられた26件の提案には。
「復興のシンボルでもあり市民の宝、広島の歴史でもある球場を再活用しよう」と言うアイデアは無数に存在した。
でも、翌年の選考の時点で、市民の意見となる「378件」は全て切り捨てられました。
結果、2007年の夏に、「平和祈念堂」と「水な都」(みなと)が最優秀でなく、優秀案として選ばれましたが…
その間も、地元から「不的確」だと市側に再考が求められています。
2008年の秋、市側が掲げる「球場跡地利用」の基本方針に対して市民から意見を公募、642件が寄せられ。
「このままではダメだ!」と言う意見が、優しい表現を用いたとしても“半数以上”は寄せられているのです。
また同時期、2日間にわたり、地元の幾つモノ団体を招いては、市側が「基本方針」の説明会を開催したのですが…
「このままで、果たして街の未来の為になるのか?」と憤慨して退席した団体まで現れた。
2009年の2月には、市の中心部にある商店街、デパート、町内会など11団体が、市側に計画を見直す協議会を設立。
市議会へ陳情書まで提出した。
そして、この度のフォーラムでは、幾つモノ団体に、地元の商店「約120店舗」が(すごい数です)が、「もっと話し合おう」と声を上げる。
そこへ、立ち止まる事なく、「当初の予定通り」に、ただひたすら“球場解体”へ指揮を執る人物が。
市民の声に対して、「意味が分からない」と言う。
次号へ続く |
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