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日記|DIARY

2010年2月14日  ハッピー・バレンタイン♪



バレンタインデーである本日も…


市民球場跡地の署名(募集)活動へ行って参りました。


「実りある」と申しますか、大収穫の1日であり、沢山の賛同、ご協力を頂き心からお礼申し上げます。


この「収穫」も、単に「署名数」で話しているでなく。


現状を知り、「民主政治」とまで言えば大袈裟ですが…


問題意識と、何より「新たな希望」を持って下さる方々が、面と向かって話せば話すほど明らかに増えて行くのです。


「そんな背景があったの?」「まだまだ、みんなが望む形が実現できる可能性があるんですね!」と。


裏を返せば、「どうせ望まない形になってしまうのでしょ…」と諦めかけている方々が、悲しいかな、まだまだ非常に多い。


簡単に言えば、何ら脚色や誇張するでなく、「どうせ公園や広場になるのでしょ?」


「誰が望んで、そんな事になるのかしら?」「でも決まってるのでしょ?!」って感じです。


そこで私共が、「いつ解体が正式に決まったのですか?」


「市議会でも継続して、ずっと現行案(市民球場解体案)を反対して下さっているのですよ」と話せば。


「そうなんですか!」「ならば是非!」と、こぞって署名して下さいます。


若い学生さんなど、それは明るい表情で、「広島が盛り上がりますね!」「最高じゃないッスか!」と何十人もが一堂に賛同して下さったり。


ウソ偽り無く、本日も何百人と会話を交わしましたが、私共の提案に対する「反対意見」は、ただの1件すら存在しないのです。


自分達を「正当化」するでなく、それが「当然」と言えば傲慢(ごうまん)ですが、誰もが抱く「率直な感想」だとは思われます。


「率直な感想の真意は?」と問われ。


今一度、その意味を客観的に振り返るならば。


広島市の税収が1年間で「100億円」も落ち込んでいる中にあり、なぜ大量の税金を注ぎ込んでまでも「今」。


人々の意見に耳を傾けるでなく、急いで「広島の復興シンボル」を解体する必要があるのでしょうか?


しかも、「その後」に何をするのかと思えば、広場・公園化して、「定期的に大きなイベントをやりたい」などと曖昧な方向性。


ここまで明確な方向性すら無く、先に解体に動くって、一体…


解体して産業廃棄物と化すのは、曲がりなりにも平和都市の「復興のシンボル」です。


何度も申します通り、イベントをやるにも、設営、座席、管理、諸々、市民球場を利用して行った方が。


時間も経費も「飛躍的に」お得なのです。


しかも、昨夏に同球場内で行なわれた「野外ライブ」の様に、ある程度の器があれば、周囲に音が漏れなければ反響もする。


つい2年前まで、年間140万人が足を運んで飛び跳ねていた球場です。


何でもかんでも「老朽化」で片付けようとされますが、甲子園なんて市民球場よりも「30年」も古い器。


このご時世、解体しては2度と戻らぬ「復興のシンボル」を、そこまで性急に壊して何を望むのか?


私共は、自らの提案を「ゴリ押し」しているのではありません。


「みんなの街を、みんなで話し合い、みんなで形成して行きましょう♪」と言う、後にも先にもシンプルな要望のみ。


行政サイドも、お菓子博、朝市、屋台村、ラジオ体操と色々なアイデアを掲げておりますけども。


市民球場を残しながら、全ての提案は実現できるのです。


「共存できる」。


そう言えば、先だって「市民球場の座席シートなど、想い出の品々を競売」との記事が新聞紙面に踊った際。


純粋なる“一般市民”の方が、その新聞社(担当記者)へ「抗議文」を送りました。


「まだ解体すら決まってない球場の品々を『売り出しますよ!』と販売広告の如く解体を助長する様な記事を掲載するのはおかしい!」と。


すると、担当記者から返事が送られて来たそうです。


「確かに、その通りです」と。


「オイ!」(笑)


実際には、「その通り」以外にも様々なコメントが明記されていたそうですが、ココで「あげつらう」のは控えるとします。


誰を味方にして、誰を敵にしたい訳でもありませんから。


「明るく温かく、笑顔が溢れ、みんなで楽しめて、みんなで喜べる街を、みんなで取り組もう」と言う話。


「理想」ではありますが、そこまで「現実離れ」した理想でしょか?


現に、他都市は取り組んでいるのです。


行政と市民が“一緒に”力を合わせて。

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