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日記|DIARY

2009年3月24日  justice


この度の報道に目を通してみましょう。


『市議会・球場跡地計画修正へ』


広島市が市民球場の跡地利用計画の実現に向けて市議会・定例会に提案した関連予算案が、一部削除される見通しが濃厚となった。


最大会派の自民新政ク(11人)など4会派が23日、当初予算案から、計画を具体的に検討する費用約1900万円を減額した修正案を、予算特別委員会に提出した。


関連予算約4600万円のうち、球場スタンドの耐震診断の費用などは残す一方、緑地や広場の整備内容などを具体的に検討する費用を削除する内容となっている。


自民新政クの木山徳和幹事長は「市の計画には異論が多く、地元商店街の声をしっかり聞いていない」と説明し、市に再検討を求める意向だ。


市の計画では、球場跡地・約8割は緑地公園を整備し、折り鶴の展示施設を中央に配す。


予算特別委では、折り鶴施設を中心に批判的な意見が相次いでいる。


如何でしょうか?


要約すれば、「市政は、広島復興のシンボルを、税金30億円から行く行くは100億円以上を注いで解体、更地化等を計画、実行しようとしている」。


「そこで“市民の意思を行政に反映させる代表”でもある市議会議員の方々は…」。


「過去20年間で50億円以上も注ぎ込んで補強してきた市民球場」。


「にも拘らず、市政は正式な耐震検査すら行なわず、危険、老朽化と訴えるので、そこを審査する予算だけは認めましょう」。


「しかし、その他の市民球場を解体、並びに折鶴展示施設・建設へ向けて発生する費用は一切認めない!」と言う報道です。


ここで、くれぐれも誤解が生じて欲しくないのは、私共は、市民、財界、市議の先生方と一緒になって“駄々をこね”「市政を邪魔している」のではありません。


正に「民主主義」。


「平等、公正の下でココまで辿り着き、結論が導き出されている」のであれば、逆に「街の活性化の為」に私共は応援する側に回るでしょう。


では何故?現政が平等、公正ではないと言えるのか?分かり易く比喩を用いて「ある例」をご紹介しましょう。


市が開催する「新春カラオケ大会」があったとします。(あくまで比喩)


参加するには事前の応募が必要で、大会の応募要項には「新年にふさわしく、会場を盛り上げられる人物1名を選出。歌う曲を明記のこと」とあります。


歌自慢で地域でも人気者♪カラオケ大会に参加したいAさんは、新年から会場が熱気に包まれればと「洋楽のロックを歌います」と記入しての応募…


見事に当選したのでした。


そして、当選者・説明会の席で、主催者より、こう告げられるのです。


「貴方は確かに当選しましたが、本番では“平和を訴えるバラード”を歌って下さい」。


「もし、この条件を受け入れられなければ、別の応募者を当選とさせてもらいます」。


Aさんは、本大会で泣く泣くバラードを歌うのでした。


この様な事実が「まかり通っている」のですから、それは街がバラードに包まれ、ロックの活気が生まれる訳もありません。


そんな権力をかざした「絶対王政」を健全化する、浄化する為にも、黙っていてはいけないのです。


声を上げる時に上げておけば、市民球場跡地問題のみならず、行政の、あらゆる施策に於いても通ずる事となる。


「既得権益を守ろうと、利益誘導しようとすると、これまでと違い、市民やメディアが黙っておかないからなぁ…」と。


黙っておくも何も、当たり前の事だ!っつうに。


それでは今回の末文は、ある市議の先生の話で締めたいと思います。


「この会合、あのコンペ、その集い。どんな分野の話になっても、市が招く有識者は、いつもいつも同じ顔ぶれである」。


「私は、世界に有識者が『この一部の人しか存在しないのではないか?』と思ってしまいますよ」。


「市民を1番」に考えるなら、そうはならないはずです。

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