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日記|DIARY

2009年1月20日  因果応報


昨日の報道を振り返って参りましょう。 


「市民球場跡地利用案に否定的な意見」


市民球場の跡地の利用方法について広島市は19日、スタンドの一部を保存する等とした計画案を市議会の特別委員会に示しましたが、出席した議員からは「人が集まる案とは思えない」等と否定的な意見が相次ぎました。


この計画案は、市民球場の歴史を残すため外野ライト側スタンドの3千席を保存した上で、跡地の大部分を広場や森が広がる公園として整備し、その中心付近には世界中から寄せられた折り鶴の展示施設を建設する等というもので、19日に開かれた市議会の特別委員会に示されました。


これについて出席者からは賛同する意見もありましたが「この計画案では目標としていた年間150万人が集まるとは思えない。街のど真ん中に森を作ってどうするのか」等と否定的な意見が相次ぎました。


これに対して市の担当者は「劇場等の施設を作ったり、広場でも様々なイベントを開いたりして賑わいを創っていきたい」等と説明し、理解を求めました。


市は、1月中に計画を決定し、早ければ今年の秋にも球場の解体を始める為、来年度の予算案に必要な経費を盛り込みたい考えです。


如何でしょうか?


「折鶴の展示施設」。何も悪いとは申しません。


ただ、私ごときの若輩が思うのは「折鶴」が大事なのではなく、そこに込められた「想い」が大事であり尊いのでは。


「折鶴施設のスピリット」は、人々の血税を「30億以上」注がずとも、別の場所で他の手法を用いて受け継ぐ事は出来るはずです。


「形式」に囚われる必要性は何らありません。


また、特筆するまでもなく、跡地の活用法「1つ」で如何様にも「このご時世“今”を頑張っている人々へ、未来永劫、素晴らしい“何か”を届けられる可能性」は幾らでも存在する。


「今を生き抜く人々」その日常の平和を“なおざり”にしておいて、未来の「恒久平和」などあり得ないのではないしょうか。


広島には、世界へ向けて平和を発信して行かなければならない責任がある。しかし、混沌とする社会情勢の中、この広島では企業倒産も相次ぎ、人々は苦しんでいる。


ならば、一等地でもある市民球場跡地は、市民に夢を与え、また、この広島が活力を取り戻すよう「有効活用」するべきなのです。


さすれば、パラドックスではありますが、平和の発信にもつながるはず。


自らの「我」を捨て、「人々の為に尽くさねばならない」ポジションの人は、人々の為に尽くす。


都市の「活性化」と「開発」を担って給料を貰っているのであれば、その本来の職務をまっとうする。


「寄らば大樹の蔭」で、静観ならまだしも、保身の為、プロパガンダに加担している“一部の人間”は…


自らの胸に手を当て、自らに問うべきでしょう。


その一部の者が“立場的”にも一番裏切ってはいけない「倫理」を明け透けに裏切っているのですから。


ちなみに写真は、行政が躍起になって取り壊そうとしている市民球場のスタンドと隣接するバスセンターの間隔で、その幅、わずか数十センチ。


無論、まだ決定ではないにしろ、この20年で52億円も注ぎ込んで補強してきたスタンドを壊すのであれば、その際、倒壊の恐れもあるので、周囲は全面封鎖されるでしょうし。


上記の例は些細な“ほんの一例”で、立ち上がる時に立ち上がらなければ、地域の未来どころか、普段の生活にも色んな支障が生じて参ります。


跡地利用問題。


本来なら、新たに切り開いて行く未来へ向け、夢と希望に包まれた明るい話題が飛び交っても良いモノを…


繰り返しますが、議員の先生方が“一般社会の正当な反応”として憤慨して下さり「議会が紛糾」した様に、市側の「決定」が下されても、予算が下りなければ完結はしません。


先生方も、会合をセッティングしては意見交換をするなどして「民意を反映させる」べく活動して下さっております。


これからです。


これから。

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