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日記|DIARY

2007年5月01日  機械人間


GW真っ只中!皆様には如何お過ごしでしょうか?私は、この連休中も基本的には仕事の日々♪


そんな中、先日、ある現場で“台本論議”が巡らされました。


「台本」。 TVやラジオ番組、イベント等においてもそうですが、現場が“ある程度の規模”になると、それだけ携わるスタッフも増えミスも許されなくなりますので、明確な指針や方向性を共有する為に「台本」の存在は“必要不可欠”になります。


その台本も、大枠のみを落とし込んだ物から、喋り手の台詞が一語一句、BGMや照明のキッカケと“進行”に関する全てが事細かに明記された物まで様々。


そこで!勿論“ケース・バイ・ケース”を前提に唱えさせて頂きますが「私は基本的に台本を忠実に守りません」。


それは、決められた進行や台詞を基に「何が最善か?」をその時々で“自ら考えている”からであり、ディレクターが考え抜いた進行やコメントを“自分流”に変える事は日常です。僭越ながら。


敢えて、分かり易い例を挙げてみると…


「彼は、走り去ろうとする彼女の右手を握り!」の原稿があれば、読む前に「走り去ろうとする彼女の右手を、彼は掴み!」と自分流にアレンジして本番に臨み“読む”と言うこと。


何故なら、「彼は、」でナレーションが始まるよりも「走り去ろうとする…」で始まった方が、冒頭としてはキャッチーであり、「握る」よりも50音で言えば、「た行」など音が“立って”耳に入りやすいので、握るの「に」で単語が始まるより掴むの「つ」で始まる方が文章の合間では伝わり易いと思われ。


ただ、上記は、あくまで“私の感覚”であり、アレンジする前の原稿と比べ「どちらが正解か?」と問われれば、正直、分かりません。(文法としてでなく、そのパートの“演出”として)


故、毎日、当たり前の様に渡される原稿1枚、文章1行にしても私は「何が最善か?」を、まず “自分”で考える。


進行内容においても、その場で「コチラがベスト!」と思えば、平気でスタッフの迷惑をかえりみず“我が道”を進んで行きますし(笑)


「自分で考えるなんて当たり前」と思われるかもしれませんが、渡された台本や原稿に何の疑問も抱かず、考慮も無く「そのまま」の人々が、いかに多いか…


「忠実」でも何ら悪いわけではありません。ただ、未熟であろうが卓越していようが、まず“自分のフィルター”は通すべきでしょう?

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