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石橋りゅうじ 議会棟控室

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2017年6月 議会 一般質問

会派を代表して、今回の一般質問では「飲酒運転の根絶へ向けた、条例制定についての本市の取り組み」、この一点に絞り質問を行って参ります。

はじめに、2013年10月に開催された決算特別委員会に触れさせて頂くとして、本市における「飲酒運転の根絶」その実現へ向け、私は建設関係の項目「交通安全対策の推進」に絡めて、質問をさせて頂きました。

質問に先立ち、私は委員会室へ「等身大のラミネート製のパネル」と一対の「使用されていたシューズ」を持ち込んだのですが、この等身大パネルと申しますのは、2011年5月2日に、当時16歳の若さで帰宅中、飲酒運転の車に撥ねられ、命を落とされた高校生の身長を再現したモノであり、シューズは彼が生前に愛用していたモノでした。

また、委員会質問の冒頭では、最愛の息子さんを理不尽なる事故で失った“お母様の手記”を代読させて頂いたのですが、「たった一つの飲酒運転が一体、何をもたらしたのか?」この事実を皆様で再認識すべく、今一度、ここに、ご紹介させて頂きます。

「帰りが少し遅くなるから」、息子からメールがあったのは、2011年5月2日の夜8時頃でした。
高校2年だった息子は、自転車競技部に所属。
4月の県大会は、団体戦で2位の好成績を挙げ、ますます熱心に練習するようになり、その日も翌日からの合宿に備え、競技仲間がいる別の高校を訪問していたのでした。
仕事から帰ったばかりの私は、疲れから、うとうとしながら息子の帰りを待っていました。
リビングの電話が鳴る、警察からでした。
電話口で告げられたのは、とても信じられない内容で、近くの県道で自転車と軽乗用車が衝突したこと。
自転車に乗っていた若者が全身を骨折、心肺停止となりICUに運ばれた事。
そして、自転車の登録番号が息子のモノである事。
一体、何が起きたのか、何をすれば良いのか全く分かりませんでした。
娘に言って、何度も何度も息子の携帯電話に連絡させましたが、全く繋がりません。
涙が頬を流れて来るのを感じました。
娘は、ぶるぶる震えています。
病院に向かう車の中で、主人は部活顧問の先生に電話しようとしたのですが、何度やっても上手くボタンが押せません。
皆が激しく動揺していました。
息子に会えたのは、夜中の3時を過ぎてからでした。
息子は顔を包帯に包まれ、ベッドに横たわっていました。
包帯から除く皮膚は腫れ上がり、両足の太ももは逆方向に曲がっていました。
どう声を掛けていいのか、私は言葉が見つかりません。
目の前にいるのが、果たして本人なのか、どうも確信が持てなかったのです。
でも、親指の爪に付いていた歯の跡を見た時、「ああ、やはり息子なんだ」と思いました。
時々、爪を噛むのが癖だったからです。
事故の詳しい状況は、なかなか分かりませんでしたが、しかし、通夜の日になって、事故に飲酒運転の疑いがあると報道で知り、やがて少しずつ全容が見えて来ました。
あの夜、泥酔状態のドライバーの運転する車が中央線を大きく乗り越え、対向車線を走っていた息子の目の前に、いきなり現れ、撥ねたのが真相でした。
息子は車のフロントガラスに頭を突き入れ、ボンネットに乗った状態になり、車はそのまま100メートルも走り続けたそうです。
そして、対向車を避けた拍子に体は歩道に投げ出され、車は蛇行し、50メートルほど先で、やっと止まったという事でした。(手記の加害者行動箇所は中略)
供述調書を読み、事実が明らかになると、怒りと無念さで心が張り裂けそうになりました。
「どうして私の息子の命が奪われなければならないのか」。
「飲酒運転への社会の目は厳しくなっているのに、どうして無くならないのか」。
息子の死をきっかけに、飲酒運転を我が身の問題として捉え、悲劇を防ぐよう「自分達の力で何が出来るか」を考えるようになりました。
進学して、成人して、結婚して、子供が出来て…。
そんな将来や命の繋がりを息子は失ってしまいました。
それが何より悲しい。
飲酒運転が厳罰化され何年も経つのに、悲惨な事故は今も後を絶ちません。
広島県でも、飲酒運転事故件数と死亡者数が昨年を上回ったと聞き、改めて憤りを感じます。
「もうこれ以上、誰一人として被害者にも加害者にもなって欲しくない」。
今は、そうした思いでいっぱいです。

お母様の手記は、以上となりますけども、この事故から先月で、6年が経過いたしました。

精神的にも多大なる傷を負わされた、ご遺族の皆様は、今なお、心の葛藤と向き合いながらも、一方では「二度と同じ様な悲劇を生み出してはならない」と、乱暴運転、飲酒運転の根絶へ向けて、時には県外へ足を運ばれるなど、熱心に活動を継続されています。

そこで改めて、近年の「飲酒運転を取り巻く社会状況」を振り返って参りますが、全国各地に於いて、飲酒運転による悲惨な死亡事故が相次ぎ、大きな社会問題となった時代を契機に、2001年、また2002年には法改正による飲酒運転の厳罰化が進み、しかも、この潮流は留まる事なく、2004年には飲酒検知拒否に対する罰則や危険運転致死罪の法定刑が引き上げられるなど「新たな被害者や加害者の発生を抑制」すべく、飲酒運転に係わる法整備、社会環境整備が着々と進められて参りました。

その後も、2007年には更に道路交通法が改正され、2009年には「悪質・危険運転者」に対する行政処分が強化されるなど、こうした新たな社会風土の醸成により、飲酒運転による事故の発生件数は、年々確実に減少傾向にあります。

しかしながら我々は、飲酒運転による事故の発生件数や検挙件数、それに伴う怪我人や死亡者数が「前年や過去と比較しての減少」を目標に掲げ、取り組んでいるモノではありません。

多種多様なる人々が暮らしを営まれる社会にあり、決して簡単な道程とは言えませんが「絶対に、そんな悲しい思いを二度と誰にもさせてはならない」と飲酒運転の根絶、つまりは高い目標となる「ゼロを目指して」、現在、取り組んでおります。

勿論、本市に於いても2012年の7月に、議会が一致団結しては「市議会議長名」に於いて、まず国へ対して「危険運転等根絶の為の対策の強化を求める意見書」を、また同時期に県知事と県警本部長へ対しては、「飲酒運転撲滅の為の条例制定を求める意見書」を、これまでも提出して参りました。

一方、行政サイドでも2014年の12月に、官民で取り組む飲酒運転根絶キャンペーンの一環に於いて「依然として飲酒運転が後を絶たない状況」を踏まえ、「飲酒運転をしない、させない、許さない」のスローガンの下、「今後も、行政、関係機関が一丸となって、飲酒運転の根絶に全力で取り組んで行く」と、松井市長が誓いの「根絶宣言」をなされております。

そこでコレより、ある関係機関による「飲酒運転に係わる研究データ」をご紹介させて頂きますが、国による幾度にも亘る「道交法の厳罰化などの動き」に伴い、定期的にメディアなどを通じ「飲酒運転」とのワードが世間に発せられては、人々の耳目へ届く機会が増加した事により、その都度、国民への啓発に繋がるなど、後を絶たぬ飲酒運転に「一定の抑止力」が働いた事が確かに見て取れる検証結果も出ております。

しかしながら、こうした効力は人々の記憶が風化して行くにあたり「おおよそ2年間くらい」の期間を持って「徐々に希薄化するデータ」も顕著に表れており、「喉元を過ぎれば」ではありませんけども、やはり我々は官民一体となって、飲酒運転根絶へ向けた「新たなアクション」を起こし、継続性を持って取り組みながら、かつ定期的に「現状を発信して行かなければならない」と存じます。

そう考えますと、先に触れさせて頂いた決算特別委員会の後、地元広島をはじめ、全国での不慮の事故や悪質なる事件で命を落とされた方々の等身大パネルと、生前に使用されていた靴を展示する「生命のメッセージ展」を、多くの議員の方々と行政側の多大なるご理解、ご協力を賜り、議会棟の1階エントランス、並びに、本庁の1階・市民ロビーや、各区役所でも開催する運びに繋がった事は「一つの適例」であり、改めて関係者各位へ、深く感謝、御礼を申し上げます。

また、こうした一連の動きがあった後も、全国へ目を向ければ、「飲酒運転の根絶」を掲げ、福岡県や沖縄県、大分県に山形県、宮城県に北海道など、既に明確な条例を制定されている自治体も多く存在し、先に広島市議会として、県知事や県警本部長へ「飲酒運転の撲滅の為の条例制定」を強く要望した通り、その実現へ向けて私も、複数の会派にまたがる幾人かの広島県議会議員へ協力を要請して参りました。

そこでは都度、応対して下さる方々も事案が事案だけに、否定的な態度を取る方は誰一人いらっしゃいませんでしたが、ただし法的な縛りが派生する“条例の制定”につきましては、相応の時間と調整を強いられる事が一つと、他方では現在、飲酒運転に関しましては、法的にも厳罰化が進んでいる折、「屋上へ更に屋をかして、どうするのだ?」と、こうした先方様の率直な反応も多く、なかなか事態は前進を見せません。

重ねて申せば私も、自らが法政に関し、徹底した知識を持つなど造詣が深い訳ではありませんので、まずは条例制定の実現へ向けて、全てを広島県など「行政頼みにする」のではなく、議員立法の可能性も選択肢に入れながら、各所へ出向き、ご指導を仰いで参りましたが、自らの力不足を恥じるばかりであれ、状況は好転せぬまま、暗中模索の日々が続きました。

しかしながら、今この瞬間も、常に全ての市民や県民の皆様は、理不尽なる事故や事件に遭遇する危険に晒されており、その一因となります飲酒運転につきましても、被害者や、そのご家族に、周囲の人々は勿論の事、加害者や、加害者のご家族まで不幸にしてしまうモノで、このまま人任せに看過する訳には参りません。

そんな最中にあって、「県域での条例制定が動きを見せぬなら、まずは、そこへ波及させる先駆的な一歩として、広島市行政や市議会には、その道に精通する人々が多くいらっしゃり、私達の広島市が出来る事から始めるべきである」「こんな恵まれた環境に身を置きながら、何に対して二の足を踏んでいたのであろうか?」改めて私の胸中に、こうした方向性を気づかせてくれた「あるキッカケ」が先月、訪れました。

それは、先にも触れた飲酒運転によって命を落とされた自転車競技部の高校生、6年目の命日にあたり(これは今年の5月2日になりますけども)今尚、心の葛藤に苛まれる「お母様を取材された」新聞記事であり、その報道内容を、今一度、ご紹介させて頂きます。

加害者の男性は危険運転致死罪が適用され、現在、服役中ですが、その獄中から、これまでも被害者のご遺族へ向けて34通の手紙を出していらっしゃり、ご遺族は2015年の秋に、その内の23通を、まとめて受け取られます。

しかし、それまで加害者から送られて来る手紙の内容は「謝罪の言葉ばかり」が目立ち、自らが如何に変わり、今後、如何に行動して行くのか?この辺りが伝わって来なかった為、手にした手紙への反応は控えられていたのですが、亡くなられた息子さんの5回目の命日を機に、ご遺族は初めて、手紙の返信を決意されました。

内容は、息子さんが生きていれば22歳で、同じ年代の若者を見ると、複雑な気持ちになる事、飲酒運転の根絶へ向けて、講演活動を続けている事など、心の内を便箋3枚に綴り、また昨年の秋には、直接、語り掛ける機会が生まれ、実際に面と向かい「息子の好物を振る舞いたい」「あなたと本音で話がしたい旨」を告げられたそうです。

すると、今年の1月に加害者から受け取った手紙には、刑務所で「生命のメッセージ展」が開かれ、「息子さんの等身大パネル」に遭遇しては、動く事が出来なくなった体験を打ち明けられ、「自分に何が出来るのかを考える」と、手紙の内容には明らかな変化が見られて参りました。

ご遺族は「反省は強要しません」「自らの罪に真正面から向き合い、答えを出して欲しい」と望まれ、加害者の男性は、出所後に、お墓参りを約束されたのです。

最愛の息子さんを飲酒運転の事故により亡くしながら、その加害者へ対して「息子の好物を振る舞いたい」とまで、寛容なる態度で臨まれる、お母様。

また事故の後、多くの人々から、多大なるご支援を頂きながら「未だ何もご恩返しが出来ていない」と、自省を続けられる、お母様。

勿論、本市だけを取りましても、不慮の事故などで親族や友人知人を失い、今尚、苦しみを抱えている方々は多く存在していらっしゃいますが、私は切に感じるのです。

約119万人が暮らす本市でありますけども、例えば幾度も言及している、ご遺族のお母様、お一人を挙げさせて頂いても構いません。

その「お一人」の気持ちを、みんなで汲み取れる、その「お一人」へ、みんなで救いの手を差し伸べられる、そんな行政や議会であり、広島市であって欲しいと、心から願うモノであります。

高いハードルは「行政手続き」にあるのではなく我々の心の中にあり、今こそ、打破しなければなりません。

つきましては、一つの道筋として、他都市の先進事例に習いながら、具体的な条例の中身に目を向けて参りますが、現在、各自治体が既に制定、施行されている「飲酒運転の根絶」に係わる条例につきましては、現行制度に輪を掛けて「更に厳罰化して行きましょう」と、この様な趣旨ではございません。

厳罰化されている現状は、どこも充分ご理解されながら、しかし法令と申しますのは、四角四面の雁字搦めにあらず、柔軟に法解釈が成される為の有余が内包されており、つまりは現行の厳罰化された法制度でもカバー出来ない部分を、補完、おぎなうべく、各自治体は敢えて条例を制定されています。

こうしたスタンスを顕著に、しかも詳細に亘って定めているのが、2006年に飲酒運転の事故により、幼い3人の命が無慈悲に奪われ、その恐ろしさと衝撃を「全ての県民に降り懸かる可能性」にまで真摯に受け止め、「金輪際、飲酒運転を絶対に許さない」との決意後、「飲酒運転撲滅運動の推進」に関する条例を制定、公布された福岡県であり、条例の前文には、今後へ続いて来る自治体へ、まるで指南するかの如く、次の様に明記されています。

「法令による厳罰化が進み、取締りの努力が続けられているにも拘わらず、今もなお、飲酒運転の事故が後を絶たない状況にある」

「また、飲酒運転による検挙者の半数が再犯者と推定されることから、残念ながら常習的に飲酒運転を繰り返す県民の存在を否定できず、現行法令により、道路交通の現場において行われる取締りだけでは、現状を打破することは困難である」

「まず、常習者の徹底的な自己啓発と県民意識、社会風土の改革が急がれるところであり、しかし一方で飲酒運転による検挙者の中には、アルコール依存症が疑われる方も多数存在することが判明しており、この様な疾病の場合には、啓発は功を奏しない」

「従って、飲酒運転の撲滅の為には、取締りの強化だけではなく、まず検挙者一人一人の特性に応じた適切な予防措置を講じ、二度と飲酒運転を繰り返させない事が重要である」

「また飲食店等において、運転者に飲酒をさせない為の取り組みを進める事も不可欠である」

「もはや私達は、県民の生命と安全が日々脅かされている事態を、このまま看過する事は出来ない」

「よって、ここに飲酒運転撲滅の為に施策を、総合的、かつ計画的に推進する事により、飲酒運転の無い、県民が安心して暮らせる社会を実現する為、この条例を制定する」とあります。

続けて、この福岡県の条例の中身に目を移せば、まず飲酒運転の根絶へ向けて、「総合的、かつ計画的な施策」を策定、実施して行く責務を、明確に各所へ発生させます。

更に、明文化されている定義を幾つか列挙させて頂きますが、例えば市民の担う役割や関係事業者、いわゆる飲食店や、お酒を販売する事業者に、タクシー業者や運転代行業者へ至るまでの役割、その責務に留まらず、被害者家族への支援や、活動の貢献者への表彰、アルコール依存症の方々への相談、及び指定医療機関の整備に治療義務、そして何より「行政職員や議員における責務」にまで及んでいます。

この様な条例により、行政や議員へ対して如何なる役割を課しているかと申せば、「市民に範を示す立場を深く自覚し、飲酒運転は絶対にさせぬよう、強固な決意をもって、取り組みに率先して努めなければならない」と定め、そんな事は「我々が条例で定められるまでもない」との意見もあるかと存じますが、そうであるならば、明確な我々の意思表示として「市議会議長名で条例制定への意見書まで提出した」後、この直近の5年間でも構いません。

自戒の意味を込めながらも、飲酒運転の根絶へ向けて、どれだけの人々が確固たる熱量と持続性を持って、一体、どの様な活動を展開されて来たのでしょうか?

そもそも本市に留まらず、広島県に於いては、そこへ付随する、キャンペーンは行っておりますが、しかし先にも触れました通り、他の自治体では既に策定、実施されている「総合的、かつ計画的な施策やロードマップ」を、この広島で目や耳にする事はございません。

ならば根本論として、「これまで県警と最も緊密性の高い、しかも広域を網羅する県に条例制定をお願いして来た」「なぜ本市が独自に、飲酒運転根絶へ向けた条例を制定しなければならないのか」との論調があるとすれば、私などは、本市としての功名心から「本市が先駆的に」と提言しているのではありません。

これまで条例を制定された他都市の事例を見ても、県と、その県内に位置する市が歩調を合わせ、双方が一緒に飲酒運転の根絶に係わる条例を制定、施行されている所も散見され、今後、例えば県と協議、調整を進めながら、広島の県市が、「同時に条例を制定される」となれば、広く県民へ喚起を促すニュース・ソースとして、より多くの効果を発揮し、最善に繋がるかとは存じます。

しかしながら補足として、他の自治体では、たとえ県が先行的に条例を制定され、そこが内容として、後追いの重複条例になろうとも、後発の理念条例になろうとも「県任せ」にするにあらず、各市、各々で更に条例を設け、徹底して目標に掲げる「根絶」を目指されており、裏を返せば、仮に今後、県が単独で条例を制定して下さっても、広島市が国際平和文化都市として、心底、市民の平穏なる生活、安全を守りたいと願い、取り組むならば、遅かれ早かれ我々にも「順番が巡って来る」のではないでしょうか。

肝要なるは、県云々にあらず「広島市は、揺らがぬ理念により、この様な条例を制定しています」との意思表示であり、言い方を替えれば「我々は市民の命を重んじ、不断の努力を重ねている姿勢」が大事であって、必ずや、その取り組みは市民の方々の心へ届き、翻り、市民の皆様が「広島市を誇りに感じて」下されば、また郷土愛の醸成にも寄与するモノです。

先述の福岡県では(福岡の場合「根絶」でなく「撲滅」との表現を用いますが)飲酒運転の撲滅へ向けた条例制定に基づき、「県民の皆様で一丸となって取り組もう」と協力を誓い、宣言をする企業や店舗を募っては、昨年末の時点で、宣言された企業は、県下「約3万300社」、店舗は「約9500店舗」にも上り、より一層、飲酒運転に係わる社員教育を施す企業や、アルコール・チェッカーを全社員に配布する企業まで見られます。

また県のHPからは、飲酒運転撲滅キャンペーンのポスターやステッカーにチラシを、誰でも簡単にダウンロードが出来るのですが、宣言をされた飲食店など各店舗では、この様な注意喚起用の印刷物を、お店の内外や隣接する駐車場などへ掲示されるなど、飲酒運転を未然に防ぐべく、県民を挙げて徹底した活動が展開されております。

更に特筆すべきは、条例に於いて教育委員会にも協力を仰ぎ、各カテゴリーの学校、学生を対象に「飲酒運転に関する安全教育を行う旨」まで盛り込んでは、そこへのアドバイザー派遣まで実施されており、繰り返しとなりますが、先ずは本市が口火を切れば、こうした輪が広域都市間連携にある通り、周辺の市町や隣県にまで連鎖反応を及ぼし「飲酒運転根絶」とのキーワードを「継続的に発信できる可能性も生じる」と推察され、兎にも角にも忘れてはならない事は、新たに「二度と帰らぬ命が失われてから」では遅いのです。

結びに、今年の1月30日の朝に島根県で起こった「飲酒運転による事故」を取り上げて参りますが、集団登校の児童をボランティアで見守っていた73歳の男性が、飲酒運転による軽トラックに撥ねられ、翌日、亡くなられました。

この男性は33年前に、当時、小学二年生だった娘さんを下校時の交通事故で亡くしてからと言うもの、同様の事故を未然に防ぐ為、ボランティアで見守り活動を続けていらっしゃり、また15年ほど前からは、お孫さんの小学校入学をキッカケに「往復で1時間以上も掛かる登校時の道程」を付き添いまでされるなど、地域住民からも非常に慕われていた人物でした。

そして事故当日の朝、登校中の児童の列に「飲酒運転の軽トラックが突っ込んで来た」のをイチ早く察し、自らの身を挺して男の子をかばい、守り、撥ねられた直後も、怪我をした子供達へ向けて「大丈夫か」と、声を掛け続けられていたそうです。

こうした方々の確かに歩まれた人生を、確かに刻まれたご功績を無にしない為にも、今、生かされている我々が、如何に取り組んで行くのか。

そこで、伺って参ります。
広島市における「飲酒運転根絶へ向けた条例」その制定へ向けて、本市は現状を如何に捉え、また今後へ向けても、如何に取り組んで行こうと考えていらっしゃるのか?
ここに、お聞かせ下さい。

お一人お一人の生活があり、その一つ一つの大切な命が尊厳をもって、日々を安寧に、この広島市で暮らして行ける。

他都市と同様、飲酒運転の根絶へ向けた条例が制定され、向こう10年、30年、50年の間でも構いません。

一つの命が失われるかもしれぬ事故を未然に防げたならば、それは現在、行政や議会に係わる、今、ここにいらっしゃる皆様の大きな功績と、何よりの「存在意義」に繋がるのではないでしょうか。

遥か、壮大なる夢の話をしているのではありません。
幾人も、幾都市もが、既に、取り組んでいる話です。

先に述べました、他都市の飲酒運転根絶に係わる条例では、毎月、特定の日を「飲酒運転根絶の日」として定めている自治体もあれば、年に一度、特定の1日を、同様に「飲酒運転根絶の日」に定めている所もあり、本市でも定期的に注意喚起を促すべく、こうした「飲酒運転根絶の日」を導入するのも一つの手法かと存じます。

来年の5月2日には、あの16歳の若さで亡くなられた高校生の7回目の命日を迎えます。

とかく我々は「未然に防ぐ」など、視線を未来ばかりへ向けてしまいますが、こうした条例は、飲酒運転により近しい人を失い、今も尚、日々を懸命に生きていらっしゃるご遺族の方々へも「一つの励みとして届けられる贈り物」であり、広島市としても市民の悲しみや憤りに寄り添う、何よりの「平和行政」に繋がるモノです。

来年の5月2日には、ご遺族の方々が墓前に於いて「本市が定めた条例のご報告」が必ずや出来るよう、どうか皆様方のお力添えを信じて止まず、私の一般質問を以上と致します。

ご清聴、誠に有り難うございました。