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石橋りゅうじ 議会棟控室

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2016年12月 議会 一般質問

はじめに「核兵器廃絶へ向けた広島市の取り組み」について、伺って参ります。

「人類が核兵器を廃絶するのが、早いのか?」
それとも、「核兵器が人類を滅ぼすのが、早いのか?」

時に核兵器の廃絶を議論するテーブルでは、この様な表現が用いられますが、広島に投下された1発の原子爆弾から始まり、最大時には地球上に「7万発」以上も存在した核兵器は、あの日から約70年もの年月を経て、揺れ動く国際情勢に、進捗と停滞を余儀なくされながらも、ようやく「約1万5千発」まで削減されて参りました。

しかし、現在は、最小クラスの水爆1発の使用で「80万人を上回る死者が出る」と予測されており、また、いったん核爆発が起これば、如何なる国であっても「即時の救護活動は絶対的に不可能である」との研究結果が出されております。

しかも、たった1発の核兵器(最大級)が使用された後には、ご承知の通り、炸裂で生じた灰や煙が、向こう10年間も地球の成層圏をめぐり、太陽光を遮る「nuclear darkness」を生じさせては、核の冬が確実に訪れ、世界は大飢饉に見舞われる。

人類は何故、使えない兵器を、所有しているのでしょうか?

核を保有する超大国として、現存する核兵器の廃絶へ向け、フロントランナーを務めて来た米国のオバマ大統領が、あの歴史的なプラハや広島訪問の演説に於いても「そうした目標は、私が生きている間には実現しないかもしれない」と口にされる通り、「国家間の安全保障上」の問題や、未だ肥大化を続ける「軍需産業」との経済的な関連性。

更には、核エネルギーの民生利用を進める各国の「原子力政策」とも相まって、多くの人々が“理想と現実の狭間”に立たされています。

また、仮に核兵器の廃絶が速やかに進むとしても、これまで100人に及ぶ国際的な指導者から構成される「グローバル・ゼロ委員会」や、各国政府のイニシアティブで設置された「核不拡散・核軍縮国際委員会」などによる“具体的な廃絶へのプロセスが示された提案”にもある通り、あくまで「目途」の範囲を超えるモノではありませんが、核兵器「最小限化」の目標が「2025年」であれば、全廃の目標が「2030年」であったりと、誰もが痛感される通り、簡単な道程ではありません。

しかし、たとえ如何なる困難が立ちはだかろうと、リアリストから「現実を直視しろ」と叱責されようとも、広島市は、そう遠くはない将来の内に、必ずや核兵器の廃絶を実現しなければなりません。

何故なら、被爆者の方々が「ご尊命の間」に、可能な限り一日でも早く核兵器の廃絶された「新たな世界をご提示しなければならない」からであり、これは我々に、そして、この広島市に課せられた「決して妥協の許されない使命」であります。

現在、平均年齢80歳を超えられた被爆者の方々は、「この世に生を受ける」こんな喜ばしい奇跡にあたり、生まれた時代が偶然にも、その時代だったばかりに、家族や友人達と過ごす極々普通の平穏なる日常を永遠に奪い去られてしまい、そして、多くのモノを“背負い込む”事となりました。

それでも、筆舌に尽くし難い自らの実体験を、また思い出すだけでも辛い被爆の実相を、都度、鮮明に胸中へ蘇らせては「この様な悲劇は二度と誰にも経験させてはならない」と、国内や、時には弱った体を押しながら自らも海外へ出向き「憎しみより和解」の観点から、無数の人々へ丁寧に語り掛けて参りました。

心身ともに、どれだけ辛かった事でしょうか。

この世界で、再び市民へ対して使用されたかもしれぬ「3発目の核弾頭」を今日まで防いで来たのは、間違いなく「被爆者の方々が発し続けられた声」のお陰であり、こうした方々の長年に亘るご労苦、功績へ対して、果たして我々は、何を持って応えて来たのでしょうか?

一発の原子爆弾で廃墟と化した、あの日から、緑と笑顔の溢れる街へと見事に復興を遂げた広島市は、その諦めない底力を、今こそ発揮する時を迎えており、我々は、この地上に核兵器の廃絶された世界を必ずや示し、被爆者の方々へ「報いなければなりません」。

では引き続き、核兵器廃絶へ向けた「世界の趨勢」を検証しながら、まずは“国家単位”の枠組みで話を進めて参りますが、近年は、今この瞬間も「テロ集団の手に核が渡る危険性」や、そこへ併せて、世界には「老朽化した多くの核弾頭」が数千発にも上り現存しており、人為的なミス、事故からの核爆発を防ぐべく「核の安全管理体制」を非常に危惧されては、旗幟鮮明に議論の最前線で戦う国々が目に留まります。

一つ、その顕著なる国にスポットを当てれば、先だって駐日大使が平和記念公園を訪れて下さった「オーストリア」が挙げられますが、2010年に行われた“NPT再検討会議”あたりから、核兵器の廃絶へ向けて、世界的にも「非人道性」の追求が“より色濃く”打ち出され始めました。

この様な機運に乗じて、今日までも「核兵器の非人道的影響に関する国際会議」が定期的に世界の各都市で開催され、その会議の場でオーストリアが発出された「オーストリア誓約」、後に「人道の誓約」と名称が改訂されておりますが、その誓約の中には、こうあります。

「オーストリアは“全ての人々の”人間の安全保障という緊急命題に従う事を促進して行く」「だからこそ核兵器の無い世界へ向けて“全ての国々”による努力に緊急性を与えるべきである」と。

もしもオーストリアが「周辺に複数の核保有国が存在する現実」ばかりに囚われ、「自国の安全保障のみ」を優先させるなら、蓋然性として「核の傘」を選択する事があったのかもしれません。

しかし、オーストリアは事態を「地球共同体」で捉え“世界の人々を安全保障の対象”としては、緊急行動を強く訴えられています。

一方でも、10月末に開催された「国連総会の第一委員会」に於いて、日本政府は「核兵器禁止条約交渉の開始を求める決議案」に対して「反対」の立場を取りましたが、オーストリア大使は、ここへ次の様に触れられました。

「近隣国との問題などがあり、日本政府の立場が難しい事は、分かっている」「我が国は核問題への関心が高く、今後も廃絶の運動に全力で取り組んで行く」と。

敢えて不穏当な表現を用いれば「どちらが被爆国なのか」分からなくなりますが、繰り返せば、核兵器廃絶への実現を諦めず、熱心に取り組まれる国々は世界中に存在します。

では続いて、我が国へと目を向けて参りますが、日本政府は、かねてから「核兵器の無い世界を目指す上で、核兵器の非人道性に関する正確な認識と、厳しい安全保障に関する冷静な認識、その双方が重要である」
「そこで、核兵器の保有国と非保有国が協力すべく、橋渡し役を務め、より現実的で、かつ実践的な措置を着実に積み重ねて行く」との姿勢を貫いて参りました。

こうした立場を取る“我が国の背景”には、近年の「防衛白書」にも明記されている通り、個別国家で申せば、北朝鮮、中国、ロシアとの間で高まる「脅威認識」とも関わって来ては、重ねて米国との関係性なども勘案し、政府として「ジレンマに陥っている」状態です。

そこで今回、私が最も問題として提起したい事は、先にも触れさせて頂いた通り、地球共同体の観点から、国際舞台で発言力を持つ日本政府をはじめとし、軍事大国が早急に核兵器廃絶へ舵を切る、ここへの“後押し”となる環境整備の役割を、今現在、広島市が「充分に果たしているのか? 否か?」の点にあります。

ならばと、本市が核兵器廃絶と世界の恒久平和を目指し、1982年の設立以来、一貫して取り組んでいる皆様も充分にご承知の「平和首長会議」について、改めて触れて参りますが、この平和首長会議は「全ての核兵器の実戦配備の即時解除」「核兵器禁止条約の締結に向けた具体的な交渉の開始」「2020年を目標とする全ての核兵器の廃棄」など、2003年に「2020ビジョン」(核兵器廃絶の為の緊急行動)を策定、世界の都市や各国の市民、NGOとも連携し、国際的な活動を展開しております。

この辺りは、会長を広島市長が務められる事からも、ここに多くを語る必要性はありませんが、これまで縷々述べて参りました諸課題の解決にあたり、今後も本市が重要なポジションに位置し、その役割を果たせる可能性を「変わらず」持っていると、私などは大いなる希望を抱き、疑わないモノです。

何故ならば、過去の「対人地雷」や「クラスター弾」の全面禁止条約、その合意へあたり、核兵器の保有国であり、また軍事大国は当初、軒並み「反対」の姿勢を貫いて参りましたが、誰もが困難としていた“高い障壁を打破して来た”のは、「人類を尊び」「平和を願って」熱心に活動を継続される世界の一般市民や様々な団体、そして「国家」単位でなく、覚悟と責任の伴った「都市」が中心となり“非常に重要な役割を果たして来た”事実にあるからです。

現実問題として、核保有国はNPT条約の第六条に「全面的、かつ軍備縮小について、誠実に交渉を行う事を約束する」と明記した後、この条約は歩き出したのですが、それから数十年、約束が履行されないどころか、一部の国では、NPT核拡散防止条約に向き合わない“きらい”さえ散見される現状。

重ねて、米国などはオバマ大統領が、全世界に現存する核弾頭、その9割を保有し合うロシアとの二国間で、更なる飛躍的な核弾頭の削減を進める為、「新戦略兵器削減条約」を先ずは国内で批准するにあたり、当時、強い反対を示していた議会との条件闘争の末、核兵器の近代化を含む「大幅な軍事予算の増加」を認めざるを得ませんでした。

こうした複雑な国内事情を抱える米国は、向こう30年間で約100兆円も注いでは、保有する老朽化した核兵器などを“近代化された核兵器に入れ替えて行く”「核兵器性能改善計画」を展開して参りますし、また、その当事国の一方であるロシアも、米国が欧州やアジア太平洋に配備する「ミサイル防衛」に反発し、今後も、新型核ミサイルの開発と配備を進めて参ります。

他方、欧州でもイギリスでは、EU離脱で揺れた後、新たな首相に就いた「テリーザ・メイ氏」が「核兵器のボタンを押す覚悟がある」と述べられた通り、核抑止力を継続すべく、核弾頭発射を伴う原子力潜水艦を、今後20年間、540億ドルも掛けて更新して行くなど、被爆地からの声は、まだまだ世界に反映されていません。

しかしながら、核兵器を所有して、互いを威嚇し、また、それを抑止と捉え、依存する、こうした「思考そのものを改めなければ」、人類が抱える問題の根本を解決する事は「不可能」であり、3度目の核兵器が使用されてからでは遅いのです。

つきましては一つの大きな契機として、来年の春には、先に123カ国が賛同し、国連の舞台にて「核兵器禁止条約」を作る為の交渉が開始される見通しですが、先日も報じられた通り、日本政府は今後も当面は変わらず「急がば回れ」と「反対」の立場で行動する意向を表明されており、本市は、そうした政府をはじめとし、反対を示す各国とも最終的には、共に目標を達成しなければなりません。

そこで伺って参りますが、核兵器禁止条約の交渉が開始される見込みにあたり、例えばNPTの場合を参照しても、核保有国のフランスや中国が参加するまでには、20年以上もの月日を費やしております。

現在、日本政府は核軍縮を進めるにあたり、核兵器禁止条約を巡る各国の対立が「最終的な目標である核廃絶への動きに影響を与える」懸念を示されておりますが、本市としては、そこを如何に受け止めているのか?

また、こうした国連での「条約交渉の契機」を如何に捉えているのか?お答え下さい。

次に、平和首長会議の掲げる「2020ビジョン」も、その目標年度が直ぐ目の前に迫って来ておりますが、本市として「2020ビジョンの実現性」を含め、「現状、その進捗を如何に捉えていらっしゃるのか?」、また被爆者の方々へ一刻も早く新たな世界をお示しする、この辺りを踏まえながら「新たなキャンペーン」などに着手する考えはあるのか?お答え下さい。

次に、核兵器を保有する超大国の拡大抑止、その「核の傘」から抜け出せない各国は、仮に核兵器の廃絶が成し得られたとしても、その後に「通常兵器で国家の安全保障が保たれるのか?」、その後の世界が「如何に変容して行くのか?」、この辺りが明確に描けないゆえ、これまでも軍縮措置を、段階的な「ステップ・バイ・ステップ方式」、並びに、クラスター毎に分割して進める「クラスター方式が望ましい」と、慎重なる姿勢を変えません。

しかしながら、こうした段階的な措置に踏み込まなければ、今後も時間は様子見のまま“容易に過ぎて行く”と推察され、まずは本市が専門的な知見も交えながら「核兵器廃絶後の世界」を明確に分析しては「世界へ提示して行かなければならない」と考えますが、現時点で、通常兵器での安全保障も含めた「核兵器廃絶後の世界バランス」を如何様に描いているのか?そこを本市としては如何に発信して行くのか?「核の傘への是非」についても併せて、お答え下さい。

そしてココに「行政側へ答弁を求める」のみならず、今一度、市民の方々や議会の役割を鑑みるにつけ、
先にも述べた、本年5月27日の“歴史的なオバマ大統領・来広”にあたり、唯一、米国側から招待を受けた「森しげあき」さんについて触れておきたいと存じます。

「森しげあき」さんは被爆当時から、周囲より如何なる流言蜚語を浴びようとも「せめて米国のご遺族の方々には知らせてあげたい」この一念を持って、原爆で命を落とされた米兵捕虜の調査を、数十年間にも亘って続けて来られました。

そして、あの日、平和記念公園でオバマ大統領の抱擁を受けた後、「これで全ての役目は終わった」と感じながらも、一方では改めて考えさせられ、新たな感情が芽生えては“次なる目標への視座”が開かれて、その思いを述べられました。

「如何なる力を持つ大統領や総理大臣であっても、その人々だけで核廃絶をする事は難しく、世界の為政者が、一生懸命、取り組む事はもとより、全世界の個人個人が、核を無くす努力をしなければならない」「平和とは、個人も行動しなければならない大きな問題である事を、一人一人が認識して欲しい」と。

我々は、こうした偉大なる先駆者の功績に、改めて深い感謝の意を抱きながら、「個人の重要性」まで説かれる、その実感に満ちた声へ、真摯に耳を傾けなければなりません。

また、広島市議会に目を移せば、昨年12月に「核兵器廃絶議員連盟」を立ち上げ、未だ体制としての課題は多くとも改善を図っては、そこへ全ての議員が連盟に加わって下さった長崎市議会の皆様と共に、今後も「核兵器の廃絶」へ向けて、より一層の努力を重ねて参る次第であり、この新たな誓いを結びとし、次の質問へ移らせて頂きます。

続いては「都心部の在り方」について伺って参りますが、私は丁度1年前の一般質問でも、都心部をはじめとした「本市における都市戦略」について質問させて頂きました。

その一部を要約すれば、旧市民球場跡地を含む「平和記念公園に隣接された中央公園の整備」は、今後、確実に迫る“人口減少社会”を前に、本市の将来的な“浮沈の鍵を握る”と言っても過言なき重要なエリアであり、この諸課題への解決は、地域の局所的な改善に留まらず「世界平和の発祥の地として、また聖地として、それに相応しい広島市の都心部を、人類の英知を結集させて、創り出して欲しい」と、戦後、世界の人々から寄せられた要請に対して「現世に生かされている我々が責任を果たすモノである」と言う趣旨でした。

それから1年が経過し、この都心部に於いて生じた「大きな変化の一つ」に触れれば、サッカースタジアムの“第三の建設候補地”として、新たに「中央公園広場」が浮上して来た事が挙げられます。

こうした変化に伴い、私が所属する都市活性化対策特別委員会でも、当初は来年の6月までに「中央公園の在り方」について政策提言を策定、提示する予定でしたが、揺れ動く「サッカースタジアム建設候補地」の情勢に伴い、同委員会からの政策提言は見送られ、最終的には「意向」のみを取りまとめる事になりました。

こう言った特別委員会の決定に当たっては、11月下旬に当委員会が市民局へ「サッカースタジアムの候補地・検討状況」について現状を確認したところ「中央公園広場に隣接する地元自治会に対し、検討経緯などの説明を行ったが、その後、同自治会で話し合いがなされ、非公式であるが反対の方針であり、反対署名も集められたと聞いている」「よって、今後は地元住民の求めに応じ、丁寧に説明し、意見を聴きたいと考えており、その上で当該地にスタジアムの整備ができるか見極めたい」「候補地の決定は、これらの手順を踏んで慎重に行う必要があり、出来るだけ早く決定したいと考えているが、まだ暫らく掛かる見込みである」とありました。

そこで改めて、まずは、この「スタジアム建設予定地」が何処に決定するかにより、都心部の在り方が大きく変容して参りますので、市民局が述べられた「地元住民の求めに応じ、丁寧に説明しては出来るだけ早く決定したい」にありました通り、そこを推進させるべく、好個の例として「北九州市」を取り上げさせて頂きます。

魅力ある都心部の形成、その一助と成り得る「サッカースタジアムの建設」に関して、本市より“数年は後発”となる「北九州市」は、その財政規模や、都市が抱える借金の返済額、いわゆる公債費にしても、ほとんど本市と遜色の無い中、先ずは建設費「約100億円」を設定。

そこから、100にも上る団体、合計で3000人以上の方々へ「建設へのご理解」を得るべく百数十回も説明会を重ね、かつ行政主導でシンポジウムやフォーラムを開催しては、市長自身も会場へ出向いて「その必要性を熱く説き」、結果、来年の3月に「国内では最も新幹線の駅に近い場所」へサッカースタジアムを誕生させる運びとなりました。

補足までに、北九州市には「ギラヴァンツ北九州」と言う、現在はJ1でもJ2でもなく、その下のJ3に位置するサッカークラブがありますが、こうしたスタジアム建設の議論をスタートさせた頃、この「北九州市のクラブ」は、まだ発足して間もないNPO団体が運営する、Jリーグにすら未加盟の状態。

本市が有する、トップカテゴリー「J1」の舞台で「この5年間に3度も優勝を遂げた」サンフレッチェ広島と比較しても、当時の「北九州市の覚悟と決心のほど」が伺えますが、この建設実現へ向けた北九州市の明確なるコンセプトは、当初から首尾一貫しておりました。

「新たなスタジアムを建設しては、それを街のシンボルに据え、周囲のエリアと連動させては、都市の活性化を図り、また子供達にスポーツを通じて多くの夢を与えては、北九州市のサッカークラブを、街を上げて、みんなで一丸となって応援して行きましょう!」と。

都度、行政より発せられるメッセージは、熱を帯びながらも、かつ温かく、しかも、その数年間に亘る建設への途中経過は「広く市民の皆様へ向けて」頻繁に届けられたのです。

そこで伺って参りますが、現在、本市が進めるサッカースタジアムの建設について、世間では「今年度内に建設地が決定するのでは?」とも言われておりますが、状況が全く掴めない市民の方々も多いかと存じます。

「今後、どの様なスケジュールを算段されているのか?」、重ねて、未だ不透明な部分は多くとも「政治は日程である」とまで言われます。実際「何年後くらいを目途に完成を目指しているのか?」お答え下さい。

連動して、あくまで仮定としながら、サッカースタジアムが中央公園広場案で、今後、前進を見せたとしても、他方「旧市民球場跡地の活用策が、如何に動き出すのか?」、ここへ密接に関わって参ります。

そこで、これより答弁は求めませんが、私が、かねてから抱く懸念事項に言及して参るとして、現在、広大なる空き地と化した旧市民球場跡地は、年間使用日数の多くを「イベント利用」が占めていますが、この業界に、長年、携わって来た一人として申せば、ひとたび「集客あるイベントを開催しよう」とした場合、大々的な宣伝広告など、当面、必要となる諸経費に、何より“当たり外れを左右する”企画の立案、決定など、決して簡単ではありません。

ただし、イベントとは「集客数の多寡」によって正否が問われるモノで無ければ、そもそも成功や失敗などは主観であって、そこを論じるつもりはありませんが、「一定の集客を得る」為に、例えば飲食関連のイベントを取り上げてみても、まずは目玉となる店舗の出店や、人気メニューを画策しなければならず、しかし現実問題として、この辺りの段取りが出来る制作会社や代理店は、そこかしこに存在いたしません。

そこで、こうした段取りを、東京や大阪など、大都市の会社へ「業務委託している」のが現状ですが、そうなると、訴求力のあるコンテンツは見込めても、あくまで「個々の開催形態によって違いはある」にせよ、必然的に、広島市民が口にするメニュー1つあたり「7割前後のバックマージン」が発生し、高いモノは、それ以上にまで及びます。

つまりは、イベント来場者の“限られた一つの胃袋”を、広島の都心部で営業を続けられる既存店舗ではなく、他方からの出店メニューで満たし、しかも来場者の殆どが広島市民・県民にも拘わらず、懐から支払われる多くの消費額は、地域内で循環する事は少なく、県外へと流出しており、いわゆる形を変えた流出過多の「ふるさと納税」です。

勿論、多様なるイベントの開催によって、運営側や来場される方々には、多くの笑顔が生まれ、また様々な副次的な効果が派生しているのは確かですが、繰り返しますと、その在り方について、戦後、崇高なる理念を基に、世界から数々の提案も寄せられた「重要なエリア」が、現在は、あの敷地内の4分の1ほどのスペースを使い、砂利の上で飲食を強いられ、時には、どこかの集会所で開かれる小規模の会合めいた事になっていれば、多くのバスが並べられたりもしています。

そして、この辺りのイベントをはじめ、現行、旧市民球場跡地で行われている、数々の利用法は、基本的に全てが「サポート・エクイップメント」です。

言うなれば、市内各所をはじめ、県外や世界からも「広く人々を惹きつけるメイン機能」が別の場所にあって、そこへ訪れた人々を「補完する機能」としての使用法が、まさに現行の状態であり、国際交流の拠点にまで成っては「ここを目指し、全国から人々が集まって来る」と言った「メイン機能」を担っているモノではありません。

私は、当然ながら多くの人々が奮闘されている現状を、頭ごなしに否定しているのではなく、本市が打ち出す「旧市民球場跡地の空間づくり」にせよ、敷地内を広く占有する「屋根つきイベント広場」に、その周辺には「野外ステージつき」や「武道場の上」など、とにかくイベント広場が連続しては、周囲に緑が配置される、所謂「現在の延長線上が未来に待っている可能性」を前に、批判の為の批判ではなく「本当に大丈夫なのでしょうか?」と、リスクヘッジの役目を担う議会として、まずは問題を提起しているに他なりません。

まだまだ喋り足りませんが、時間も差し迫って参りました。

そこで、本市は同跡地の空間づくりにおいて、世界の建築界で名を馳せられた「丹下健三氏の思想」を用いられておりますので、最後に申し加えておきたいと存じます。

丹下氏は、都市設計、アーバンデザインを実現するに為に、まずは自らの敵を「千人も作る覚悟」で未来像を語られては、各々の配置が作り出す「空間の秩序」を徹底究明され、目の前の案件を「国家を救う」、
「国家を背負うプロジェクト」にまで昇華させました。

そして「どうか若い諸君の力で、求められる時代様式を、再び発見して行く努力をして頂きたい」と“自らの尺度を超える”スケールの発想を期待され、静かに次の世代へと、バトンを託されたのです。

「明快なるメッセージの伴われた都心部の街づくりは、やがて広島市の中心から、世界と未来を照らす、一筋の光となる」。

ここへの実現へ向けて「今一度、誰もが、追及して欲しい」。

この言葉を持って、私の一般質問を以上と致します。
ご清聴、有り難うございました。