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石橋りゅうじ 議会棟控室

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2012年12月 議会 一般質問

これより、会派を代表して、一般質問を行います。

さて、我々議会は、昨日より今日、今日より明日へと「より良い広島市を生み出す」べく、行政サイドとは常に“程よい緊張感”を保ちながら「同じ目標」を共有し、一歩一歩「進歩を遂げよう」と、日々、取り組ませて頂いております。

それでは改めて、この「進歩」を広辞苑で調べてみれば、「物事が次第に発達すること」「物事が次第に良いほうへ」「また、望ましいほうに進み行くこと!」とあり、一方、後ろに退くと書いて「後退」とは?

「前より悪くなること」「勢いが衰えたり、行動が消極的になること」とあります。

たとえば、「医学の進歩」について顧みれば、過去の症例、無数の臨床実験、研究、治療、応用を繰り返し、つまり「過去の歴史」を礎に、現在の「先端医療」が存在する。

その「医学」の根源は、1つでも多くの病を治し、1つでも多くの尊い命を守り、飛躍すれば、「世に1つでも多くの笑顔を増やすため!」と表現しても過言でなく、これは行政にも“相通ずる事”と思われます。

そこで、過去の「広島市の歴史」を踏まえながら、 2012年12月現在、我々の街は、果たして過去よりも進歩を遂げているのでしょうか?

それでは、比較対象として「直近の過去」でもある、前政権「秋葉市長時代」を振り返ってみたいと思いますが、アジア大会の負債なども多大に残る、財政状況の非常に厳しい折、平成15年には「財政非常事態宣言」がアナウンスされるなど、まだ記憶にも新しい通り、前政権下では、あらゆるモノが切り詰められました。

また、前市長は絶大なるリーダーシップと政治観、その辣腕により、数々の功罪を生み出され、近代史に於いて「最も激動なる時代」が、この12年間であったとも言えます。

私など、こうした広島市政に疑問を感じ、立候補させて頂いた人間ですが、しかし、前政権をオートマティックに否定するのは単に「感情論」でしかなく、より掘り下げて申せば、本市の職員の方々は、前秋葉市長へ「提案なり、もしくは報告」する時の事を思い出してみて下さい。

前市長より、指摘されませんでしたでしょうか?

「アナタは、あらゆる可能性を模索したのですか?」「既存の条例や法令があるならば、それを改正してまで取り組もうと考えたのですか?」「もう一度、検討して来なさい」と。

言うなれば前市長は、明確なる「都市の方向性」を打ち出した上で、「実現する為には如何なる方法を用いれば良いのか?」を突き詰められた人物でもあった。

ですから、「一事が万事」と表現できる程に、「財政非常事態宣言」がなされた2年後には「新球場の建設方針」を打ち出し、あの逼迫した財政下、市と県で連携し、財界からも寄付金を集め、国からの補助に、市民の皆様からも協力を取り付けるなど“如何なく”リーダーシップを発揮され、「夢の器」とも呼べるマツダ・スタジアムを完成させました。

当時、財界には新球場の実現へ向けた旗振り役が存在し、何も私は「市長の手腕のみ」に言及しているのではなく、今一度、過去の歴史を“検証”しては「これからの市政に生かしたい」この一心であります。

より遡れば、戦後の荒廃した広島市にあり、騒乱の時代を先人が汗水をたらして築いて下さった環境の中、現在の我々は、日々の生活を送らせて頂いております。

忘れてはならないのは、我々の命は永遠ではなく、我々が享受して来た「この広島市」を、これまでの歴史と同様に、後の世代へ手渡して行かなければならない。

言うなれば、我々は「先人の恩恵」を受け取った「受益者」ではなく、それを一時的に預かっては、環境整備に努め、より良いモノにしては後の世代に手渡す「供託者」に他なりません。

ゆえ、依然、厳しい本市の財政状況の中、現政権が改革に着手され、派手さは伴わなくとも着実に取り組まれている事は存じておりますが、明らかに「歴史の転換点」を迎えている今こそ、皆様で英知を結集させては、ここで一層の汗をかき、より良い広島市を後の世代の人々に残してやる事が、我々に与えられた「使命」であり「責務」でもあるのです!

では、長きに亘った前段はこの辺りとし、これより、広島市が持ち合わせる街の「財産」を活かしては「更なる進歩を遂げる」べく、本題へと移らせて頂きます。

現代は、不透明なる“今後の未来を読み取る”見識と決断、まさに「選択と集中」が求められ、その一環として、今この時代に「選択」、「集中して投資されるべき」が、広島市へ「サッカースタジアムの誕生」と考えます。

この度、広島が有する「三大プロ」の一つ、サッカー・サンフレッチェ広島が、クラブ発足から20年にして初めて、市民念願の「日本一」に輝く事が出来ました!

優勝を決めた11月24日には「広島が日本の頂点を極めた」との一報が全国を駆け巡り、明るいニュースの届けられた地元広島は「優勝ムード」と化し、そこかしこに人々の笑顔が溢れたのです。

近年、「広島」と言う都市の名を、これだけ対外的にアピールできた機会が他にあったでしょうか? 

しかも、サンフレッチェは、その後、クラブW杯へ進み、国際平和文化都市「広島」のクラブとして、世界へ向けても「広島」の名を、発信し続けており、重ねて、優勝を決めるまでの約1ヶ月間を振り返ってみて下さい。

幾つもの地元企業、民間商業施設が「優勝セール」や「優勝イベント」の準備に着手し、地元での報道記事も「優勝セールで街を活気づけたい!」 「歓喜の日を待ち望む!」などの活字が躍っては、連日「日本一」への可能性が報じられました。

確かに、サンフレッチェは地元市民、地元地域の多大なるサポートにより苦しいシーズンを戦い抜き、結果を残すことが出来ましたが、何よりも大事なのは、そのプロセスであり、この間、サンフレッチェと言う「広島の財産」は、明らかに人々へ「期待」と「希望」をもたらしたのです。

国や各自治体が「景気の回復」を掲げられる昨今、「景気」とは、何もお金に関する“経済”に留まりません。

「人々の心に明かりを灯し、街の雰囲気が、明るく前向きになる」これこそが、真の「景気回復」と言えるのではないでしょうか。

そして、再認識させられる事もあり、今期、サンフレッチェは「約30万人」にも上る過去最高の観客動員を記録しましたが、ホームゲーム最終戦ではチケットが完売し、観戦できない人々が続出。

ひとたび、2万人が集えば、最寄りの高速インターチェンジが試合開始の5時間前には渋滞に陥り、試合後は、1時間以上も駐車場から出られない現状。

そう考えると、現在の環境では、今回の「観客動員」も、まさに限界点を迎えた「MAX」とも言えますが、近年、サッカーに興味を持って下さる方々は飛躍的に増え、新たな環境整備に着手したらば、全ては、初優勝を遂げた“ココから始まる”との最小値の「ミニマムである」とも言えます。

つまり、この分野は、今後も充分に可能性を秘めた「成長産業」であると共に、娯楽を提供する「良質な住民サービス」でもあり、地域への貢献度は計り知れません。

そこで改めて、この「サッカー」をヒモ解けば、一説には、野球の競技人口は世界で約3500万人と言われ、サッカーの競技人口は、約2億5000万人、またサッカーファンは、世界で20億、30億人とも言われています。

国境や言語の壁を越え、「世界の共通語」と成り得るのが、スポーツであり、この「サッカー」でもあるのです。

現在、国内のJリーグには、J1「18」クラブ、J2「22」クラブ、計40クラブが加盟しており、Jリーグの興行を持続させて行く事で、まずは少なくとも「県外の39地域」から、選手やサポーターが、来訪者となる可能性が生じます。

例えば、今年のJリーグ開幕戦では、対戦相手、浦和レッズのサポーターが「約5000人」も広島に訪れ、この間、市内中心部の宿泊施設が、軒並み「満室」となりました。

一方でも、上位の成績を収めたクラブは「アジア・チャンピオンズリーグ」に参加する事が許され、サンフレッチェも今季優勝を果たした事により、来年度は同大会への出場が決定しており、こうなると、アジア、中近東、オセアニア地域に至るまで、諸外国に加盟する「数百クラブ」の選手やサポーターが広島へ訪れる可能性までもが、必然的に生じます。

重ねて、今年の8月には広島で「20歳以下」のサッカー女子ワールドカップが開催され、訪れたアメリカやドイツ代表チームなどは、その際、平和記念公園へ献花に訪れ、大会終了時にはピッチ上にて諸外国の選手から「広島ありがとう」の横断幕が掲げられる一幕も見られました。

しかも、現在、広島では通常のサッカー大会とは別に、高校生世代の「バルコム・カップ」、小学生世代の「デンタル・カップ」が開催されており、7年の歴史を刻んで来た高校生の大会では、過去にヨーロッパや南米、アフリカからも各国が、また後者の小学生の大会では、本年など長崎や福島からも小学生チームが広島へ招待されては地元チームとの交流を深めました。

そこで、両大会の共通項として、広島へ滞在中には、必ず平和学習の時間が「1日」設けられております。

私は、大会終了後、参加した県外の小学生が書き綴った「感想文」、その全てに目を通させて頂きましたが、誰もが広島市民の「おもてなし」に感謝の意を述べ、また原爆資料館を訪れては被爆者の実体験までも伺い、「戦争の悲惨さを初めて知った」「2度と、同じ過ちを繰り返してはいけない」と語っている。

10代の多感な時期に広島を訪れ「こうした」思い出が刻まれれば、リピーターとして、大人になって再度“広島へ訪れる”可能性は飛躍的に高くなるのではないでしょうか?

また、国内では高校野球が甲子園球場で開催されることが一つの文化となっておりますが、子供世代のサッカー全国大会を「ピースカップ」と銘打ち広島で開催」し、これを常態化して行けば、必然的にプレーヤーの保護者や関係者などの安定した“来訪者”を恒常的に確保することも出来る。

プロやアマを通じ、今後もサッカーは無限の可能性を秘めた「コミュニケーション・ツール」であり、貴重なる「集客産業」なのです。

では続いて、不安視される「稼働率について」ですが、とかく世間一般では「サッカーの試合は年間でも限られている」と捉えられています。

しかし、プロの試合、ホームゲーム「年間で約25試合」に重ね、アマチュアの試合、フットサルやラグビー、グランドゴルフにソフトボールなど他競技での使用、地域行事等の一般開放を含め他都市に目をやれば、鳥栖のサッカー専用スタジアムで、年間「100日」以上。

千葉や神戸でも、ほぼ同等の利用が実際に行なわれており、現代の「天然芝・育成技術」をもってすれば、“更なる高頻度”での使用も“充分に可能である”とされています。

また、ピッチ上に光や空気を通す、プラスチック製の床板を一時的に芝生の上へ敷き詰める事により、定期的なコンサートや大規模なイベント活用も見込め、「芝生部分だけ」の稼働率を積算しても、一般的なホールに“ひけ”をとるモノではありません。

ここへ、日常的に人々が足を運ぶ施設をスタジアム内に併設すれば、年間を通じて、人の流れと賑わいを創出することも可能となり、例えば国内では、プール、図書館、レストラン、保育施設、体育館等の事例が見られ、国外では、高齢者用のマンション、ショッピングモール、ホテル、トランジット・モール化された路面電車の駅と「共用化が図られる」など、スタジアムが日常空間として利用されています。

アイデアを結集、協力を取り付ければ、大学やバスセンターとの併設も、夢ではないでしょう。

更に、諸外国では、スタジアム内に各企業の窓口となる担当者の名刺が何十枚も並べられ、新たなビジネスチャンスの創出、社交場としての役割までも果たしており、何よりも特筆すべきは、スタジアムづくりは、「街づくり」であるという事です。

諸外国のサッカースタジアムでは、マツダ・スタジアムと同様、屋根に設置された太陽光パネルで電力をまかない、蓄えた雨水をトイレやシャワーに利用するなど「スタジアムのエコ化」は今や常識となっています。

また、埼玉スタジアムを例にとると、ココには7万2000食の「お米」、毛布にタオル、石鹸やオムツ、他にも使い捨てトイレが各々「数千個単位で保管される」など、「3000人が1ヶ月間は生活できる物資」が都市の防災拠点として常備され、当然、調理する厨房も完備しているのですから、災害時や有事の際は、そこで「煮炊き」までもが可能となる。

しかも、こうした複合型の観客席が時に防音壁となり、周囲に騒音を漏らさない「都心部でのコンサート誘致」にも役立ち、真夏や真冬であろうとも、市民や修学旅行生などが昼食時に安らげる「風雨を凌げる屋根付きベンチ」にも成り得るのです。

この先行き不透明な時代にあり、今現在、サッカースタジアムをある程度の実現性まで漕ぎ着けては計画中、または建設中の都市は、大阪、北九州、京都、鳥取、愛媛、川崎と後を絶たず、検討中の地域も加えれば、同様の都市は幾らでも増えるのが実状であり、いずれの地方自治体も「財政的には苦しい」状況下にありながら、それは何故なのでしょうか?

その理由として一例を挙げれば、サンフレッチェは、5年前から「重い病と闘う子供たち」をサッカーの試合に招待する事業を展開しています。

この事業では、「余命いくばくか」と言われた子供が、人々が一体と成る“スタジアム空間”に刺激され、試合後に「来年も必ず来るね!」と元気に語ってくれ後、実際、翌年に少年は約束を果たしてくれるなど、スタジアムとは目には見えない、お金では換算できない「生命力まで運んで来てくれる」モノので、その実績は、戦後、広島市民を元気付けてくれた「カープと旧市民球場」を例にとっても、疑う余地はありません。

重ねて、他の自治体がスタジアムの建設に踏み切るのは、「何故?世の子供達は、スポーツ選手に憧れるのか?」ここにも起因していると思われ、それは、スポーツ選手が常に「真剣に夢を追って」おり、その姿に、子供達が夢を見出すのです。

次世代を担う子供達の情操教育の観点からも、スタジアムが「人材の育成」として、多大なる効果を発揮する事は言うまでもないでしょう。

こうした街の財産が、先人達の努力により、幸いかな、この広島市には、幾つも存在するのです。

では、「スタジアムの効果」は理解しながら、先立つものは「資金」となりますが、例えばマツダ・スタジアムの場合は先にも触れました通り、あらゆる実現への手法を持ち寄り、完成まで漕ぎ着けました。

また、大阪では全ての建設資金を民間で捻出しようと今も徹底して取り組まれており、スポーツ助成金となる「toto」なども活用される。

この「toto」は、スタジアム建設となれば、最大で「30億円」もの助成が見込める制度となっており、実際に、スタジアム建設資金として大阪や北九州への助成が決定しております。

国内外の事例でも、特別目的会社が「自治体・保障」の下に資金を集め単年度決算を巧みにプランニングし、健全経営を心掛けては30年タームで建設した都市などは後を絶たず、トップの「Goサイン」さえ伴えば、後のコスト課題は「産学官民で連携して充分に克服できる」と、ここに明言できます。

また、コンテンツの充実に留まらず、もしもスタジアムの外観にまで「広島らしさ」が盛り込まれたならば、如何なる“波及効果”が創り出せると思われるでしょうか?

もしも、スタジアムに旧市民球場の正面玄関を再現させたなら? もしも、川の流れるデルタの街に栄えるよう、欧州のスタジアムの様に、外壁はガラス張りで夜はライトアップされ、暗闇に美しく浮かび上がる景観を誇れば? もしも、再現された東京駅の様に「ノスタルジックなレンガ張り」で外壁が造られ、そこへは市民サポーター、一人一人の名前が刻まれていたならば?

まだ、旧市民球場が現存していた頃には、そこで「スタジアム見学ツアー」が日常的に行われており、多い日には1日「2千人」以上の人々がツアーに参加されました。

スタジアムの外観にも一工夫を加えるだけで、広島の新たなる観光スポットとして、若者のデートコースになれば、観光客も、内外から訪れるのです。

今、広島市に最も求められているのは、「広島だからこそ」とのブランディングを高め、核となる「拠点づくり」ではないのでしょうか?

平行して、本市と「姉妹提携」を結んでいる都市に出向いては、また「親善、交流」を掲げ、外国のクラブを広島へ招いてはフレンドリー・マッチを開催するなど、日本一のサンフレッチェを「外交ツール」として活用する事も、今後は「視野に入れるべき」かと思われます。

顧みれば、松井市長は本年の9月や11月の記者会見に於いて、「市街地へのサッカースタジアム建設」の要望が相次いでいる事を「真剣に受け止めている」と述べられ、「官民一体となった建設推進に賛同する姿勢」を示して下さいました。 

また「もしも建設が実現すれば、街の賑わいづくりの役割を果たし得る」との前向きな評価は、この度、サッカースタジアムの早期実現へ向け、署名開始から丁度3ヶ月で「30万人以上」もの署名が集められましたけども、その30万人の心に、「松井市長は民意を真摯に受け止めて下さっている」との揺るぎ無い「希望の光」が灯された事だと、ここに断言できます。

このご時勢、誰も、手前の勝手だけで、社会情勢も顧みず「アレも、コレも」と申しているのではなく、あらゆる道を検討すれば実現は十分に可能であり、重ねて「市民が誇れる文化財」として「後の世代に残してあげられる」からこそ、現状を認識した上で「声を上げさせて頂いている」のです。

明確なコンセプトの下、健全なるスタジアムの経営がなされ、しかも訪れた人々へ、希望、熱狂、感動、そして「今を、人々と共に謳歌する」との絶大なる「付加価値」を提供しているからこそ、今のマツダ・スタジアムや、また戦後復興のシンボルとして市民を支え続けて来た「旧市民球場」は、安易に「ハコモノ」などと揶揄される事はありませんでした。

乗じて、「サッカー王国」と呼ばれる広島の歴史を遡れば、人々に鮮烈な記憶を残した、昭和48年のサッカー日本代表が銅メダルを獲得したメキシコ・オリンピックに関しても、長沼監督をはじめ、広島県勢が代表に7名も選出されております。

今年は、サッカー王国の「復活元年」とも呼べる年になりましたが、Jリーグでは今後「クラブ・ライセンス制度」が導入され、3年連続の赤字経営や、ひとたび債務超過に陥れば、たとえ日本一のクラブであっても、すぐさまJリーグに参加する「ライセンス」を奪われる事となる。

ここまで受け継がれて来たスポーツ文化の歴史を、決して我々が途絶えさせてはならず、大事なのは「サステイナ・ビリティ」で、現在世代の活動が、将来世代の活動を損なう事なく、持続できるか否かの概念です。

過去と現在の輝かしい歴史に挟まれ、この広島市では2度、3度と「サッカースタジアム建設」の機運が生まれては消え、サッカーファンは都度、失意と落胆に包まれた歴史があり、誰もが「しらけムード」の中、立候補時に「ワクワク・ライフ広島」を掲げる松井市長が誕生しました。

こうした重責を公約され、誰もが期待する松井市長へ、今一度「歴史の検証」として、情熱と行動力の伴った、ある広島市長の取組みを、ご紹介させて頂くとします。

世界文化遺産でもある原爆ドームは、昭和42年に第一回の保存工事がなされ、20年後に再び調査が行われては、あまりにも建物の損傷が激しく、原爆ドームの「保存・募金運動」が平成元年に始まります。

当時、荒木市長は「原爆ドームは世界平和のシンボルとして出来る限り現状に近い姿で残すべし」と決意を固められ、自らが旗振り役となり、率先して全国を奔走されました。

結果、募金額は、当初の目標額の「倍」近くが集まり、原爆ドームは保存工事が施され、現在の姿を保っています。

トップとは、「出来るから踏み出す」のでは無く、困難を極める事に立ち向かうからこそ「トップ」であり、先ほどの「子供達がスポーツ選手に夢を見出す」と同様、だからこそ、市民がトップに希望を見出し、そして初めて「尊敬と感謝」の念を抱くのではないでしょうか。

思い起こせば、悪戯に言質を追求する訳でなく、松井市長は以前、「サンフレッチェが優勝した暁にはスタジアムを建設する」と発言されました。

そして、サンフレッチェが優勝した直後、何人もの選手が、私へ、異口同音に、こう告げたのです。

「我々は、約束を果たしました!」「私たち選手が、現場で出来る事は、ココまでとなります!」「この先は是非とも政治の現場で、ご決断を宜しくお願いします」と。

宜しいでしょうか? 優勝争いをするシーズンの終盤の最もコンディションの大事な時期に、選手は休養日を返上して、幾度も、何時間も、街頭での「スタジアム建設へ向けた」署名活動に取り組みました。

「優勝したら、スタジアムを造る!」まずは市長が希望を投げ掛け、それを受けとったクラブ側は、想像も絶するプレッシャーの中、約束を果たした事を、ここに報告いたします。

そこで最後に、「広島市政の将来」を左右するにあたり、最前線で現場に携わる皆様へ「釈迦に説法」と成りえますが、1つの言葉を共有しておきたい所存であり、ご紹介するのは「ホット・ポテト現象」と言う経済用語です。

我々が“熱いポテト”を手渡され、それを持ち切れない、抱えきれないからと、次の世代へと手渡して行けば、これは問題の先送りで、何の解決も見込まれません。

つまり、世代間の公平性を鑑みても、今の我々が決断をし、汗をかかなければ、様々なモノが弾力性を失い、硬直化して行く今後、より良い環境を後世へ残してあげる事は間違いなく困難を極めて参ります!

ここに、今一度、繰り返すならば、大事な責任を担っているのは、英知を結集させ「未来を如何様にも方向づけられる」、今現在、現場に携わっている“我々”なのです。

私は、この度のサンフレッチェ広島の優勝により、心底「広島で暮らして来て良かった」と、何物にも変えがたい喜びを噛み締めている次第であり、今後も環境整備に努めれば、両手を突き上げ、心から喜びを爆発させる瞬間が、仲間と抱き合って、感動の涙を流す瞬間が、市民の皆様へ、飛躍的に身近に、平等に訪れるのです。

懸案事項ともなる「スタジアムの建設場所」に関しても、「スタジアムを如何なる目的で建てるのか?」、このコンセプトが明確になれば、自ずと決まって来ると思われます。

そこで松井市長に、ご質問、並びに、ご提案を申し上げます!

30万人以上にも及ぶ「人々の心に灯された希望の光」と共に、この広島に「サッカースタジアムの誕生」を掲げては、実現へ向け、自らが旗振り役となり、広島市のキャプテンとして、率先してアクションを起こして頂けないでしょうか!

重ねて、具体的な検討の段階へ入っては頂けないでしょうか?

選手が約束を果たし、市長も約束を守ってくれたらば、これだけも全国的なニュースとなり、必ずや市民は、その市長の姿に胸を打たれ、今後も毀誉褒貶、賛否両論は生じるでしょうが、如何なる状況でも「市民の夢を実現しようとする市長」を大多数の方々が応援してくれる事と思われます!

牛田小学校時代にサッカー部へ所属されていた、スポーツマン・シップにのっとる松井市長に旗振り役となって頂いては具体的な検討に入る。

約束を守って頂けるのか?否か? ここに明確なる、ご答弁を望むモノであります。

答弁の内容によっては、30万人以上もの人々と共に、私は失意に包まれ「再質問の意欲」すら失うので、心から誠意あるご答弁を、宜しくお願い申し上げます。

ご清聴、誠に有り難うございました。