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石橋りゅうじ 議会棟控室

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2015年12月 議会 一般質問

はじめに、「広島市の都市戦略」について、お伺い致します。
まずもって、各担当局が所管する個別の多岐に亘る施策に言及するのではなく、なぜ大きな「都市戦略」との括りにしたかと申しますと、今後、人口減少や超高齢化社会、市場経済の縮小と、幾つもの現実に対応して行かなければならない本市にあたり、全ての根幹となる「我々が立ち戻る原点」が、近年は「希薄化しているのではないか?」との懸念が拭えないがゆえ、今一度、広島市のアイデンティティを再認識する意味も込め、こうした言説を用いたモノであります。

只今、申し上げました希薄化との表現は、あくまで私の主観によるモノですが、そこを裏付ける一例として、先ずは直近の「本市における取り組み」に目を向けると致しまして、私が所属する常任委員会や特別委員会では、先月「広島大学・旧理学部1号館の保存・活用」、また「広島西飛行場・跡地の活用」について、今後の活用策を検討して行くにあたり、一般市民の方々や民間事業者からアイディアや提案を募集する運びとなりました。

しかしながら、例えば「広島西飛行場の跡地活用」についても、「スポーツ・レクリエーション機能」や「新たな産業・雇用・にぎわい機能」とのテーマは定められておりますが、全ての出発点となる「現行の都市基盤を総合的に勘案しては、観音エリアと他のエリアを結び、連動性を持たせ、如何に機能配置しては、最終的な都市のグランド・デザインに寄与させるのか?」こうしたコンセプトの部分が、全く前景化して参りません。

つきましては、改めて原点に立ち返る意味でも、戦後から今日を迎えるまでの「本市の近代史」を再確認するとして、本市では、今から66年前となる昭和24年に「平和記念都市建設法」が制定されました。

戦後における本市の再建にあたっては、財政的にも逼迫した状況が続く折、用いられる、あらゆる手段を駆使しては復興を遂げなければならない。

そこで、当時の市長、職員、市議会、地元選出の国会議員が一丸となり、国へ働き掛け、紆余曲折を経ては、衆参両議院を通過させ、憲法第95条に基づき、地方公共団体として日本初となる住民投票まで行った後、実現、制定されたのが、この平和記念都市建設法でもあります。

こうした一連の背景には、「この地上から、戦争の恐怖と罪悪を根絶しては、真実の平和を確立しよう」「永遠に戦争を放棄して、世界平和の理想を地上に建設しよう」との広島市民が世界へ向けて発信した当時の平和宣言が揺らぎなき信念として、難航を極める法制定への道程を後押しした事は、ここに強調するまでもありません。

ゆえに、平和記念都市建設法は枝葉を省き、本市が世界へ向けて取り組む指針を明確に示すべく“わずか七条”から形成されており、その第一条には、「恒久平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設する事を目的とする」とあります。

重ねて、法制定の実現へ向け、誰もが一丸となって邁進すると時を同じくして、世界各国からも、広島の再建に多大な関心が寄せられ、何百にも上る要望が本市へ届けられました。

当時、アメリカでは、政治家や文化人より「広島ピース・センター建設委員会」が組織され、同委員会では、記念塔、平和記念館、図書館、科学研究所、音楽堂、劇場、児童文化会館、体育場、ホテル、その他の、各種、模範となる社会事業施設を「出来るならば広島市の爆心地付近に設置して頂きたい」との構想を打ち出され、また都市計画に関する専門家らは、異口同音に「広島は、全世界の注目を引いた事実を認識すべきで、すなわち広島は建設的にせよ、破壊的にせよ、新たな時代の到来を最初に世界へ告げた土地として、今後、永久に訪問者の興味をひくであろう」「世界平和へ向けた広島市の復興は世界的にも絶好の機会である」と唱えられました。

その他にも、海外の新聞や雑誌からは「各種の平和運動会議は是非とも広島で開催すべきである」と幾多に上る要望が寄せられるなど、平和を希求する世界の人々より「広島の戦災に対する恐怖や同情を越えて、広島を世界平和の発祥の地として、また聖地として、それに相応しい都市を建設し、もって広島を永遠に記念しなければならない」との声が高まりウネリとなっていたのは、まがう事なき事実です。

こうした世界規模に及ぶ人類が熱望する声に触れ、「平和記念都市建設法案」が上程された国会では、広島選出の「山本・ひさお」衆議院議員が、提出者の趣旨説明として次の様に述べられています。

「世界の世論に応える事は、いち広島市民のみならず、戦争を放棄した我々日本国民全体の義務であり、また同時に、世界人類に対する最大の貢献でもあります」と。

また、昭和24年5月、衆参両議院を誰一人が意義を唱える事も無く通過した後、最終的には法の施行までに広島市での住民投票が行われるのですが、その投票日を前に、当時の浜井市長は次の様に市民へ訴えられます。

「焼野原の上に、新たな平和都市を建設する事は、より一層の意義があるばかりでなく、そうする事により、我々は初めて戦争犠牲者の犠牲を意義、あらしめる事が出来ると考える」「この法律が示す様に、平和記念都市としての広島市の建設が成功した暁には、市民諸君の幸福は勿論、政治的にも経済的にも、国家、並びに世界人類に絶大な貢献をする事が出来る事を信じて疑いません」と。

また当時、多大なる尽力をされた市議会の「にとぐり・つかさ」議長は、「恒久の平和を願ってやまない日本国民の理想の象徴として恥ずかしくない文化都市を、国民の総意と総力によって築き上げると言う理念が核心であり、その為に選ばれたのが広島である」「この法案では、世界平和を象徴する都市に相応しい、あらゆる文化施設を整える事になっており、その構想、計画は、法律成立の暁に、あらゆる方面の人々の知識を集め、練られる事になるが、その究極のする所は、人類発達の段階に於いて、考え得るべき最高度の施設があらゆる面にわたって整えられ、広島市にひとたび足を踏み入れれば、その一つ一つの草木にも恒久の平和を象徴するモノが感じられ、そこに住む人、又、そこを訪れる人に豊かな香り高い平和な幸福感を与えるというが如き都市を造る事が、法律の狙いであります」と述べられ、この現代に先人が発せられたメッセージを読み返してみても、今なお色あせる事のない、熱き確固たる信念と世界的なビジョンが、色彩豊かに我々の胸へ伝わって参ります。

広島市の先人は、今よりも財政的に厳しく、かつ物心の両面に亘り汲々とした状況下にあっても「広島市民としての誇り」を失わず、その「広島にしか出来ない役割」と「未来へ向けて、広島が担う世界的な責務」を認識され、壮大なる目標の達成へ向けて邁進されました。

そこで、話を現在へと戻し、対比される好個の例として「旧市民球場跡地の活用方策」に触れると致しますが、同跡地の活用方策を検討するにあたり、その根幹を成す目的は、過去の委員会資料でも、次の様に明記されております。

「旧市民球場跡地を含む紙屋町・八丁堀地区は、広島駅周辺地区と共に、本市の活性化を図る上で重要な地区であり、より一層の魅力を高めて行く必要があります」と。

私はココに、先人達が戦後、未だ荒廃した時代に、世界の将来と本市を結んでは壮大なるビジョンを描き、取り組まれた背景と今現在の委員会資料をイタズラに同じ机上で比較するつもりはありませんが、戦争による犠牲者へ対する意義に、世界へ手本を示し、恒久平和を訴える都市づくりにまで理念を置いた過去と、それが「希薄化している」現在とのギャップを、誰よりも憂う一人であります。

先に「広島は全世界の注目を引いた事実を認識すべき」との海外より寄せられたコメントをご紹介しましたが、現世に生かされている皆様へ問い掛けるとして、広島が担う重責と、世界へ訴え続けなければならない「普遍的なメッセージの伴う街づくり」を、時代の潮目を迎えている今だからこそ、我々は改めて再認識する時を迎えているのではないでしょうか。

昨今のニュースでも報じられる通り、世界ではテロや地域紛争など各地で戦争が続き、今この瞬間も罪なき人々の尊い命が次々と失われている時代にあって、広島が為すべき役割は、未だ道半ばです。

こうした背景を鑑みながら、平和への第一歩は、人種、宗教、思想、価値観、その人々が併せ持つ多様性を先ずは認め、尊重し合う事から始まり、人々が本市を訪れただけで、過去の歴史と現在、未来を結び「今を生かされている命に感謝」しては、「世界の人々の“心までも育む”街であって欲しい」。

そう切に願うからこそ、私はまだまだ不肖の身でありながら、この広島で暮らす一人の市民として、ここに警鐘を鳴らしている次第です。

そこで伺いますが、現在の広島市は、わずかなる一時代の経験や見識におごる事なく、出来ない理由を羅列するのでもなく、あらゆる英知を結集させては、如何なる都市戦略を掲げ、取り組んでいるのか?

「希薄化しているのではないか」との私の所感に対し、本市としての認識、ご見解を、お聞かせ下さい。

続いて「サッカースタジアムの建設」について伺います。

お蔭様をもちまして、さる12月5日、「広島県の財産の一つ」とも言えるサンフレッチェ広島が、リーグ戦から続くチャンピオン・シップを制し「この4年間で3度目の日本一」に輝きました。

そこで、回りくどい表現を用いて恐縮ですが、先ずは当たり前の様に口にされてしまう、この「日本一」について触れさせて頂きます。

ここ数年、広島のスポーツ界では、バレーボールのJTサンダーズやコカ・コーラウエストの女子ホッケー部、レッドスパークスも日本一に輝きましたが、私は各チームの関係者や選手とも交流があり、優勝までの道程を幾年にも亘り間近で目にして参りました。

首脳陣や関係者が、チームの強化へ向けて日々取り組む「たゆまぬ努力」、それぞれのアスリートが平素から節制に節制を重ね、練習に励み、まさに血と汗と涙を幾度も流し、それでも誰もが容易に到達できぬ「頂き」へ、時の運など無数の要因が重なり、結集しては、ようやく到達する事の出来る日本一。

稚拙な表現を用いれば、如何なるジャンルにおいても、町内で、市内で、県内で「1番」になる事すら容易ではありません。

これが日本一ともなれば、その極める困難の度合いなど、常人では計り知れぬ事かと存じます。

そして、話をサンフレッチェに戻せば、ロケーションの面に於いても、首都圏にクラブが集中する中、移動の面や経済的にもハンデを背負う地方クラブが、県内の各地域と連携しては、地元で選手を育てて行く「日本一の育成型クラブ」を掲げ、この20年もの間、研鑽に励み、血の滲む様な努力を重ね、そこを多くの市民・県民の方々が多大なるサポートを継続して下さり、この度「4年間で3度の日本一」を成し遂げては、全国へ向けて頻繁に「広島の名」を轟かせ、また多くの感動を人々へ届けてくれました。

しかしながら、これだけの結果を残したサンフレッチェを存続して行く上で、言うまでもなく経営面は重要な鍵を握っており、現行のJリーグの制度が始まって以来の歴史的な「勝ち点」を挙げ、ダントツの成績を残し、かつ最も反則の少ないフェアプレーを貫き、全国のサッカーファン、スポーツファンを、そのプレーで魅了したサンフレッチェの今季・地元開催試合の平均観客数は、約1万6千人です。

サンフレッチェが、1試合の興業で何とか黒字を出す運営面での「観客数・分岐点」は、丁度「1万6千人あたり」なので、近年は常にギリギリのラインで運営を乗り切っている状況にあるのですが、これが「週末開催」のゲームを除き、「平日開催」に限定した平均観客数を見ると、その数は「約9千人」と一気に激減する実情があり、平日では試合をする毎に「約7百万円」前後の赤字を計上する事になります。

例えば、首都圏や関西圏、中京圏のクラブは、ホームスタジアムを中心とした5km圏内に「60万人から110万人の人口が分布する環境」で試合を行っておりますが、本市の場合では「約9万人」前後であり、しかも、お世辞にも「インフラが整っている」とは言い難い環境下でクラブは試合を行い、かつファン・サポーターの方々は試合開始の10時間も12時間も前から、懸命に都合をつけながら会場へ足を運んで下さっている。

時に、サッカースタジアムの建設に際し「現行の状況で努力を重ねろ」との意見も散見されますが、裏を返せば、なぜ熱心なサポーターの多くの方々から、新たなスタジアムを望む声が、強く寄せられるかと申せば、理由は至ってシンプルで「肌身を持って知っているから」です。

キックオフの10時間も前に、ようやく確保した駐車場から、試合後は車に乗り込んでも、1時間も全く動かない実情。

観客が多く詰めかけると、アストラムラインでは規制が掛かり、寒い夜でも長時間、駅にすら入れて貰えない実情。

シャトルバスの待機列も同様であれば、車イスの子供が、臨時駐車場から何十分も坂道を押されて、会場に到達する実情。

そして、他都市にある素晴らしいスタジアムが、もしも広島にあれば、あの味わった者しか知り得ない別世界を、一人でも多くの方々に体感して頂ける!

熱心なサポーターの方々は、その実感に伴い、新スタジアムの建設で「自らを満たしたい」のではなく、多くの人々と、「その幸せを共有、分かち合いたい」のです。

しかも、スタジアム建設となれば大きな事業であり、一足飛びに進まない事は誰も承知しておりますが、都市規模の違いはあっても、同じ時代に次々と他都市はスタジアム構想を打ち立て、しかも実現するなど、後発の都市が続々と広島市を追い抜いては進捗している状況下、広島市の場合では、そこまで不可能なのでしょうか?

「3回、優勝したらスタジアムを考える」云々、今日までも市長の発言が流布されて参りましたが、この平和都市を標榜する我々の広島市にあって、大事なるは「相手の立場になって考える想像力」であり、こうした発言をされた市長の立場に立てば「まずクラブが、コンスタントに結果を残しては、そこを市民・県民の方々が支えてあげて下さい」「その間に我々は熟慮を重ね、英知を結集させては、必ずやサッカースタジアムの実現へ向けた手法を見出し、希望ある結論をご報告します」との心中であったかと、前向きにお察し致します。

今ここに、サンフレッチェと市民・県民の方々は、困難を極めた壮大なる約束「広島が3度の日本一」を、キチンと果たしました。

この期に及んで「県と連携して検討を加速化させたい」と申されても、今月初旬に行われた県の特別委員会では、議員からの「現在、スタジアム建設の実現性を検討されておりますが、その検討結果如何では、スタジアムを造らないと言う事も在り得る訳ですよね?」との質疑に対して、県の担当課は「ハイ、そうなります」と回答されています。

これだけ明るく人々の笑顔と感動に包まれた今、「現在はトップ会談を行っており、年度末に、ある一定の方向性を示すと言っている」めいた不透明なるスタンスや答弁は、誰も望んでおりません。

重ねて申せば、広島市にサッカースタジアムの建設を望む声が署名となり、既に40万人近くも寄せられておりますが、誰も「長年に亘り愛用していた自動車が中古車になったから、新車を買ってくれ!」なんて私利私欲を訴えているのではありません。

先の「都市戦略」でも触れた通り、幸いにも本市が有するサンフレッチェやカープ、バレーボールやハンドボール、ホッケー、テニス、陸上などのスポーツ文化を通じて、また広島交響楽団などの音楽や各芸術文化、そして何より歴史の伴う温かい市民の皆様と団結して「如何に今後の広島市を創出しては、未来へ受け渡すのか」。

都市基盤を再編成し、世界に誇る広島市を形成して行く上で、その目的に資する手法の一つとして、「サンフレッチェ3度の優勝を踏まえ、行政はサッカースタジアムを建設するのか?」

ここに広く、市民・県民の皆様へ向けて「希望」を届けるべく、明確にお聞かせ下さい!

続いて「森林整備」について伺うにあたり、はじめに自らの不勉強を恥じるばかりですが、私は日本の国土が潤沢に有する財産であり資源となる「森林」について、昨年の本市を襲った「8.20豪雨災害」を経験するまでは、関心を抱く事も目を向ける事も、多くありませんでした。

しかしながら、発災後、国・県・市が連携して、早急に懸命なる復旧作業を進める最中、自らも微力ながら一人の議員として奔走しながら、一方で、一人の市民としても連日に亘りスコップを手に、また3トン・トラックを借り出しては現地へ赴き、莫大に堆積された土砂の撤去にあたったのですが、そこで幾つもの被災箇所に足を踏み入れ、崩壊した森林を目にし、駆けつけた専門家の方々からも多くを教わりながら、何よりも現場で痛感させられた事は、手入れが行き渡らず、あまりにも放置されている「森林の実情」でした。

確かに、この度の土砂災害は「約2時間での300ミリにも迫る局所的な豪雨」により発生いたしましたが、これはいわゆる「表層なだれ」の様に地表面が崩壊したと言うより、その下断層へ相当量の雨水が入り込み、地盤が水分を抱えきれず、上部へ向けて爆発した形で、多くの木々と土砂を巻き込み、崩壊したモノです。

ゆえに、地上部分に位置する森林整備を図っても、結局は未曽有の大雨に襲われた際は「無抵抗に終わる可能性もある」と捉えられがちですが、現実問題として、この度の土砂災害は「8月20日前後の豪雨による要因」だけに留まらず、そこへ至るまでに何十年もの間「放置された森林の状態が続いていた」事に起因する事実を、今一度、胸に刻まなければなりません。

しかも、戦後ある一定期間と比べ、昨今は「1年間に各都市へ大雨が降り注ぐ頻度」が、明らかに「1.5倍ほど」増加しており、全国で最も急傾斜地の多い広島にあって、周知の通り、今後は如何なるエリアでも、同様の災害が起こる可能性を充分にはらんでおります。

本市では、市域面積の「67%」を森林が占め、その内の「約4割」は人々の手入れを必要とする「人工林」であり、私は「もしも平素から森林の整備が行き届いていれば、一人でも多くの命を救えたのかもしれない」との悔恨の念から、先に触れた通り遅まきながら、森林整備や、そこへ密接に関わる林業について、実際に山へ入り木々と対峙しては、一から勉強する事をはじめました。

そんな私が、この一年で、チェーンソーを片手に山中で学んだ事を、したり顔で、大仰に申すつもりはありませんが、しかし、災害に強い街づくりへ向けて非常に重要な案件なので、幾つか提言も交えながら話を続けるとして、そもそも「なぜ森林整備が進まないのか?」。

コレは、ご承知の通り、過去の国による法改正により安価な外材が輸入されて来ては、国内の木材需要が著しく落ち込み、採算が取れず「林業が衰退して行った」事に起因しておりますが、そこは国レベルでも危機感を抱き、一時は18%にも落ち込んだ木材の「国内自給率」を、「まずは50%にまで戻そう」と、現在は法整備をはじめ、テコ入れをされています。

しかし、林業従事者の高齢化や後継者不足に、ひとたび山へ入ろうとも、本市の場合であれば、人工林の7割近くを「個人が所有する」現状にあって、所有の境界線が有耶無耶になっていれば、その所有者自体の所在が掴めないなど、一向に改善の進まない状態が幾年も続いております。

重ねて、山に入り間伐を進めても、その木材を搬出する路網の整備や諸経費の捻出が追い付かない為に、伐られた間伐材の「約7割」が、そのまま山へ放置されるなど、課題山積の状態。

こうした状況の打開策として「国への働き掛け」は勿論、重要ですが、喩えれば「待機児童の解消」と一緒で、国の法整備や国からの拠出金を待つだけでなく、「過ぎ行く時間を無駄にする」事なく、現行の法制度の中でも各自治体で主体的に実践活動を積み上げ、ボトムアップを図る手法を選択すれば、確実に成果を上げるのではないでしょうか。

幾人もの専門家が、幾年もの年月を重ね、試行錯誤し、それでも劇的なイノベーションは生み出し難く、困難を極める道程に立ちながら、ならば我々に何が出来るのか?

それは、あまりにも基本的な提言となりますが「現在も本市は地道に取り組んでいる一貫」であれ、あらゆる所に木材を活用するなど、一歩一歩、着実に「地元木材の需要を増やして行くしかない」かと存じます。

防災機能を果たす「緑のダム」とも成り得る森林の整備を押し進めるにあたり、まず「如何に人材を確保、育成しては、労力を注いでいく」アプローチは重要ですが、一方でも、木材の需要が高まり、そこへ「供給が追い付かない」となれば、必然的に林業が活性化しては、販路を含め、物流基盤が更に確立されて、目指さずとも副次的に防災林が構築されて参ります。

この需要拡大へ向けては、近年も木材の端材を加工した原料を燃料に充てる「ペレット・ストーブの導入」や、バイオマス燃料を基調とした「熱や電力の送出」にも力が注がれておりますが、林業を「一つの立派な産業へ復活させる」為には、未だマーケットが小さく、過度な期待を寄せるには、リアリティが伴いません。

ゆえに、2010年の10月には「公共建築物等における木材利用の促進に関する法律」が施行されるなど、経年劣化して行くコンクリートの建物と違い、時の経過と共に風合いが出ては、上手く利用すれば300年以上も安全性に破綻を来たさず、取り壊しの際も環境負荷の低い木材を「建物の建材に率先して使用する」べく、国家規模で大きく舵が切られる昨今。

地元から産出された木材は、その土地の風土、気候と共に育まれており、地元で活用されれば、最も素材の持つ効力を発揮する事は、ここに強調するまでも無く、地元の各住宅や木材メーカーとも協力、連携を図り「懐かしくも新しい、木材を基調とした未来」へ向け、「広島モデル」の構築へ取り組むべきではないでしょうか。

末尾に、私は「費用対効果」や「経済効果」など、マテリアル主義に傾斜した考え方は好まないのですが、敢えて「広島市・森づくりプラン21」にも明記される、「本市が有する森林を、貨幣価値に換算した数値」を取り上げれば、この森林を、利水ダムや雨水利用施設の維持費や減価償却費、また砂防ダムの建設費や地産事業、レクリエーションの消費額や二酸化炭素の回収、化石燃料の代替効果などに換算した場合、「森林が、そこに存在するだけで」年間の貨幣価値は、約1,750億円にも及びます。

この市民や都市の財産でもあり、市民の命や都市を守ってくれる森林を、「充分に整備を施した上で、災害が起きた場合」と、「現行のままで、災害が起きた場合」を比較すれば、リカバーへ向けて「後者の方が」圧倒的な労力と時間、費用を要してしまう事は明白です。

本市として、現在、掲げられている「災害に強い街づくり」の一助としての森林整備。
雇用の創出やIターン、Uターンにも寄与する林業の再生。
その為にも「木材需要の拡大」へ向けて。

行政として「これまでの取り組み」は承知しておりますので、「諸課題の改善へ向けて、今後は新たな施策を如何に打ち出しては取り組んで頂けるのか?」を、ここに伺うモノであり、私の質問を以上とさせて頂きます。