インフォメーション

石橋りゅうじ 議会棟控室

Tel.(082)504-2442

スマホ版サイトは以下のQRコードから。

2014年 9月 議会 一般質問

自民党・保守クラブの石橋竜史です。

まずもって、この度、本市が見舞われた豪雨災害に際しまして、亡くなられた方々に、謹んで、哀悼の意を捧げると共に、被災された方々に、心からお見舞いを申し上げ、1日でも早い復旧へ向けて、我々議会も引き続き、最大限、努力させて頂く事を、冒頭、ここに誓う次第です。

この度の災害は、過去の本市における経験では、予想もし難い程、大量の雨が短時間に集中しては極地的に降り注いだ事により引き起こされたモノで、暗がりの中、為すすべも無く、事態が治まる事を、ただ、ひたすら祈るしかなかった被災者の方々を思うと胸が痛み、私なども、20日の夜が明け、上空からの報道映像を目にした時は、その被害状況の大きさに、正直、言葉を失いました。

しかし、広島市議会の場合は、福山市をはじめ、幾つかの議会が策定されている様に「災害が発生した場合は、まず全議員の安否を確認する」「議員を招集する」「議会の設置した対策本部からリクエストする」など、こうした「災害時の議会対応」が定められておりません。

そこで、誰の目にも事態が短期間で収束しない事は明らかでしたので、今後の対応の為に、そして何より、現状を知る為に、私は先ず、現地へ向かいました。

すると、未だ、山裾からは大量の水が溢れ出す状態で、至る所では、茫然自失に立ちすくむ人々や、家族や知人の安否確認が取れず、不安に駆られ、土砂で埋もれた家の前で行ったり来たりされる人々。

また、家屋の倒壊など、最も被害の大きかったエリアでは、搬送される前のご遺体についた泥を、山から溢れる水を酌み、奇麗に拭き取ってあげているご老人の姿もあり、その間も、無情な程に降りや降らずみの雨は続きました。

この他にも、あらゆる場面を列挙すれば数限りなく、こうした災害発生より今日まで、現地へ幾度も足を運んだ実体験を交え、これより質疑を行って参ります。

先ずは、災害当日より、人命救助、行方不明者の捜索に、自衛隊、警察、消防と、多くの方々が多方面より駆けつけ、昼夜を問わずご尽力を頂き、また、莫大に堆積した土砂の撤去へ向け、これまでも、述べ数万人に及ぶボランティアの方々がスコップを片手に、復旧作業にご協力を下さいました。

他にも、地域の方々が被災者の方々へ向け「入浴などのサービスを無料で」ご提供して下されば、各地域の「防犯組合連合会」が、空き巣被害の防止にパトロールを継続して下さったり、県警のOBが、夏休み明け、登下校する子供達を見守って下さったりと、地域、県内外の垣根を越えて、本当に沢山の方々が、被災地へマンパワーを捧げ、温かい心遣いを注いで下さいました。

僭越ながら、一人の広島市民として、ココに全ての皆様へ、心から感謝、お礼を申し上げます。

しかし一方では、災害発生から幾日が経過しても、東日本大震災の時など、災害復旧に多大なる力を発揮した建設関係の作業機械や作業員の方々を目にする機会は少なかったのが現実で、勿論、先ずは状況を把握する、行方不明者の捜索を第一に全力を注ぐ、また、不安定な天候の折、二次災害の危険性をはらんでいた事は確かですが、それは、東日本 大震災の時も同様でした。

東日本のケースで申せば、災害発生後、未だ余震が続いては、行方不明者の人数すら掌握できない時点から、重機を扱う建設業界の技術や能力が、一晩の内に52チームの編成を組み、翌朝から、また、別働隊は発災当日の夕方から、まずは被災地の動脈となる道路を開通させ、現地へ自衛隊をはじめとする、各種の救援部隊が辿り着けるよう、応急復旧の前段に、初動が迅速に進められた前例もあります。

災害が発生した場合、通常は初動の処置として、「応急復旧」、次に「本格復旧」、続いて「復興」へと段階的に作業が進められて行く訳ですが、東日本大震災や、この度の様に被害が甚大に及ぶ際は、一時間でさえ対応が遅れる毎に、物理的、精神的にも被害は拡大して行き、そこへは生存率が大幅に低下する「72時間の壁」も存在します。

そこで、先にも述べました最も初動となる応急復旧に、まずは「人命救助を最優先」とした、自衛隊や消防車両の緊急輸送路を切り拓き、確保するべく、こうした対応を「けいかい」と呼びますが、この啓開作業が非常に重要な役割を果たして参ります。

本市の場合、災害の翌週になり、ようやく建設業界の重機や人員を現地で見かける頻度が増えて参りましたが、例えば、平口代議士が23日に現地へ赴き、後日、「建設関係の復旧活動が行われていない事に疑問を持った」と述べられた通り、一般市民をはじめ、同様の所感を抱かれた方は数多くいらっしゃいました。

こういった状況下、ボランティア・スタッフの正に「人海戦術」とも呼べるご尽力により、日を追って現地からは土砂が取り除かれて行きましたが、その間も、一時避難されている方々をはじめ地元住民からは、一向に進まぬ復旧作業に、口々から行き場のない思いが吐露され、広く報じられた事は、皆様もご承知の通りです。

顧みれば、国道54号線を塞ぎ、通行を遮断していた大量の土砂は2日後には完全撤去、交通解放されるなど「国の迅速な対応」に比べると、本市の初動に関しては、私が聞き及ぶ限りですが「当該区以外」の建設会社に復旧要請があったのは四日目の「23日」(土曜日)であり、準備を整え、ようやく翌日に現地へ入って頂くなど、各方面への打診、対応の遅れた感は否めません。

自然の猛威が牙をむき、甚大なる被害を受けたこの度の豪雨災害を、人々は「天災」と申しますが、今回などは事前の「警戒区域の指定」や「避難勧告」、「防災スピーカーの未設置」など、県との関連性はありますが、あらゆる課題が明確になり、「人災も加担した」と言って過言ではないかと存じます。

では改めて、何故、幾日も経過しなければ、建設関係企業の本格的な復旧作業が始まらなかったのか?

私が、先に「人災」と表現したのは、今回の一連における本市の「初動対応だけ」に言及しているのではなく、過去に遡れば、本市に於いても建設業界とは良好なる関係が築かれておりました。

その最たる例を申し上げれば、本市が定期的に行う大規模な防災訓練にしても、民間の建設業者が参加しては、共に緊張感を保ち、その腕を磨き、共に「いつ訪れるかも知れぬ災害」に備えていた。

しかしながら、確かに公共事業などが抑制される時代背景は伴いますが、善意には善意で応える「紳士協定」とも呼べる信頼関係の構築が、叩かれに叩かれ続けた入札制度など、本市の断行した「過去10数年間の政策」により、徐々に失われて行ったのは疑いの無い事実です。

無論、本市でも、この様な関係の修復を図るべく、時の「財政の契約部」が着手されておりましたが、結果、出来上がった「初動対応のフロー」が、そこから「如何なる新たな体制の構築に繋がり」、緊急特例として機能を発揮したのか?

その答えは、この度の災害で顕在化したと言えるのではないでしょうか。

また、9月5日には、国県市が今後も連携して取り組む「応急復旧計画」なども発表されましたが、未だ本市からは、東日本に留まらず、全国的にも策定が進められている啓開計画についての議論が、一向に表面化して参りません。

迅速な救命や救護活動へ向けても、地元民間業者が要する人材を最大限活用すべきであり、重ねて、こうした建設業界などは、地元を知り、その技能と経験を有しているだけでなく、地域経済や雇用を支える大事な担い手でもあります。

そこで、民間事業者の育成や連携も含め、この度を機に、本市は「啓開作業」を如何に捕らえ、また「啓開計画」を構築する考えがあるのか、お聞かせ下さい。

また、我々は市民の生命、身体、そして財産を守り、「安心安全な街づくり」へ向け、この度の教訓を必ずや今後へ活かして行かなければなりませんので、次に、本市における危機管理部を含めた「防災対策の組織体制」について伺います。

本市では、災害時、即座に対応する危機管理部、並びに防災課が「消防局に設置」されておりますが、例えば全国20の政令市を見ても、災害時に迅速なる対応を果たす担当部門が、未だ消防局に設置されているのは、本市を含め「二都市のみ」であり、他の政令市は、危機管理局などを設けては、各局へ横断的に指示、協力を結ぶ体制を確立しています。

災害発生後は、人命救助、並びに、この度の様にインフラの復旧や一時避難所に当面の仮住まいの確保など、ありとあらゆる対応、対策が早急に求められる折、その所管は、都市整備局や健康福祉局、下水道局に、数々の予算措置を施す財政局にまで跨って参りますので、他都市では、現場にて最も人命救助の経験や能力を持つ消防局へ対して、過度な役割を担わせてはおりません。

例えば、仙台市などは、東日本大震災を受けて「危機管理防災関連業務」を、より一体的に推進し、全庁的な調整を図る為、総務局の危機管理部門と消防局の防災部門を集約し、危機管理室を危機管理監の下へ新設しており、この背景には「より広い視点で危機を捉えた対策強化」へ、危機管理監を消防局から切り離し、市長直轄の独立機関とした経緯があります。

本市に於いても、この度の教訓を生かし、更なる災害に備えて、改めて「危機管理部門」が、このままの組織体制で良いのか、再考する時を迎えているのではないでしょうか。

顧みれば、まだ皆様の記憶に新しい、平成11年の「6.29豪雨災害」の後に、国に於いて「土砂災害防止法」が制定され、コレを機に、本市では「都市防災担当」が設置されました。

その設立趣旨は、危険区域の指定に係わる県との調整など、法律に基づく防災対応並びに、被災後は河川課を中心に、新設された都市防災担当が協力体制を組み、「迅速に災害防止にあたること」が掲げられ、平成13年度から「河川課の課長以下、12人」と、「都市防災担当の課長以下、4人」の人員が配置されては、都市防災の確立へ取り組んで来た経緯があります。

しかし、この都市防災担当は、平成24年度、松井市長が就任されて2年目となる、自身が初めて行った組織改正の際に姿を消し、勿論「その機能自体が失われた」訳ではなく、河川課などが業務を継続されておりましたが、この河川課にしても、体制の強化には至っておりません。

そこで、改めて伺いますが、災害へ事前に備える「都市防災組織」や、災害後、全庁で、横断的に取り組む必要のある「危機管理組織」など、本市の「現行の防災危機管理体制」について、改善、再編のお考えはあるのか、お聞かせ下さい。

次に、この度の災害では「災害特別危険区域」の指定など、過去の課題が幾つも表面化しておりますが、「事前の対策」により、災害を未然に防げれば、様々な被害を「最小限に抑える事が出来る」のは、ココに言うまでもありません。

現在、全国では、年間平均で「1000件」の土砂災害が起こっており、全国的にも「警戒区域の指定」が急務とされながら、広島県の場合も、未だ警戒区域の指定に「約2万箇所」が残されております。

そこで現在、1年間に「約1200箇所ずつ」の指定が進められながら、あくまで現行のペースで行くと「あと十数年は必要」となり、各方面からは、この警戒区域の指定を「早急に進めるよう」提言がなされておりますが、こうした間にも、災害は、いつ訪れるか分かりません。

重ねて、この度の豪雨災害は、積乱雲が連続して発生する「バック・ビルディング現象」など、極地的な集中豪雨で発生しましたが、我が国が科学的な気象観測を始めて「まだ100年ほどの歴史しか刻んでいない」事を鑑みると、今後も、人類の尺度を超える自然現象が「危険区域」や「警戒区域」の次元を超えて、あらゆる地域に於いて発生する可能性をはらんでおります。

しかも、無闇に不安を煽る訳ではありませんが、自然の猛威へ謙虚に備えるならば、仮に砂防堰堤が危険箇所に設置されたからと言い、現実問題として、砂防堰堤が全ての土砂や土石流を「必ずや食い止めてくれる保障」は、どこにもないのです。

今一度、先ずは原点回帰となりますが、「自らの命は、自らで守る」、また、近隣・地域で共に助け合う、自助、共助の意識を「より確立」しては、今後の災害へ備えなければなりません。

こうした強い意識を、改めて、市民、県民の皆様で共有しながら、続いて「公助」の観点から申せば、現在の本市に於きましても、大規模な石内東団地をはじめ、山地部や山裾の開発が、今尚、進められている状況です。

しかし、山裾付近まで住宅の予定地がありながら、近接する山の尾根では、実際に「過去10年あまりの航空写真」を比較してみれば一目瞭然となりますけども、明らかに、大小、幾つものガケ崩れや土石流が発生しており、また、現地へ足を運べば、山中に巨大な岩が存在しながら、山裾では砂防ダムを設けるでもなく、川床より低い位置に「僅かな谷止工を設置するだけ」の現状など、これまでも市民からは不安視する声が、継続して行政へ届けられております。

今一度、市民の生命、財産を必ずや守るべく、「この所管は県や国で」「ここから先は民間ディベロッパー」と事務的に割り切るのではなく、宅地造成の許可が下りて、確認申請により建築許可を出すのは各自治体となりますので、企業誘致や区画販売が開始される前に、山々に近接しては開発が進められる地域を、今一度、再調査、再点検、そして、対策を打つべきかと存じます。

本市としては、如何お考えなのか、お聞かせ下さい。

次に、この度の災害発生後、安佐南区内では土砂による道路の遮断や、大通りのアンダーパスが水没し、各所で車両規制が行われ、大渋滞が発生いたしました。

現在、国レベルでも災害対応として「防災幹線道路の確保が急務である」と掲げられ、今後も、被災地は中長期的なビジョンを持って復興が進められる折、インフラ整備一つを取りましても、それは局地的な対処療法に留まらず、大所高所からの総合的な取り組みが必要となりますので、改めて、この安佐南区の「背骨」とも呼べる「長束八木線の整備」について伺います。

同路線は、この度の災害が発生した山本地区、そして緑井や八木地区を「市内中心部と結ぶ」重要な役割を担う路線となりますが、山本や祇園地区には、高校や大学に大型商業施設、また「計画人口1万人」の春日野団地もあり、過去10年間で「約7千人」も人口が増加していながら、この「都市計画道路」の整備が一向に進んでおりません。

朝の通勤時や週末は、同エリア内に於いても「わずか2キロ」の距離をバスや車両で通行する際に「40分前後」も要する事態が常態化しており、こうした動脈硬化とも呼べる渋滞は、鎮静化するどころか、年々深刻な状況を迎えております。

この件については、先の区政懇談会におきましても、「3便から4便早いバスに乗らないと予定に間に合わない」「早く渋滞対策に手を打って貰わねば、この地区では身動きが取れなくなってしまう」との、交通問題を危惧する切なる声が、各地域の役員の方々から噴出する事態となりました。

そこで伺いますが、「長束八木線の3工区」約1km区間は、平成14年度に事業着手されながら、開始から11年が経過しても未完成であり、1日も早い完成が望まれますが、この区間が暫定的に、2車線でも通行可能となる時期はいつ頃になるのか、お教え下さい。

また、長束八木線は、基本、全線が4車線で計画されながら、南下しては、「都心部側に位置する新庄橋」とは2車線で接続する計画になっており、道路計画としては、まるで「新たなボトルネック」を形成するべく、全く理に適わない計画となっております。

平成18年11月に策定された「都市計画道路・見直しの基本方針」にて、この長束八木線は「都心部側に交通処理上の問題があり、ルートなどについて検討が必要である」と整理されながら、基本方針の策定後、既に7年以上が経過しており、幹線道路の確保へ向けて「都心部側との結節」も視野に入れ、早期に着手すべきと考えますが、長束八木線の「都心部側の道路整備」について、今後、どの様に進めて行くおつもりなのか、現在の検討状況を含め、お聞かせ下さい。

続いて、この度の災害における「初動を含めた行政対応」について伺います。

20日未明、午前1時15分に、県と気象台から「土砂災害警戒情報」が発表され、消防局長は午前1時35分に「広島市災害警戒本部」を設置されました。

そこで「広島市地域防災計画」によると、通常、市の「災害警戒本部」が設置された後は、ただちに、その旨を「市長に報告」されなければなりませんが、本市が9月11日に発表された「豪雨災害における初動対応の概要」には、市長へ報告された記述が一切ありません。

その後、積算雨量がレベル5まで達しては、ガケ崩れや「市民が生き埋めになる」などの連絡が相次ぎ、午前3時30分に「災害対策本部」が設置されますが、通常、対策本部は市長が設置されるにも拘わらず、午前3時23分に消防局長の進言により「副市長が市長よりも先に了承している事実」にもある通り、これは市長に事故がある時に限られます。

その後、市長が午前7時15分に登庁され、午前7時30分に「災害対策本部」にて「本部員会議」が開かれる事となりますが、市長は記者会見で、最初の連絡から登庁までについて「寝たり休んだりしながら情報を聞き、対策会議を開くという事で関係者を招集した」と述べられました。

一方、県の対応に目を移せば、午前6時には、湯崎知事が県庁の災害対策本部にて会議を開かれており、しかも、本市が行った午前6時28分の「自衛隊への派遣要請」につきましても、本来ならば、その審議決定は、市長の指揮下、先ずは「本部員会議」で協議されるべき事項です。

ここまでの時系列と、その事実関係を参照すると、現に災害が発生し、異常な降雨量などの情報や「約600件にも上る119番通報」が殺到しては、何より「市民や自らの部下である消防隊員が生き埋めになっている」との、人命にも係わる「不確定要素」の一報を聞いた際は、市長であろうと部長であろうと、先ずは行政マンとして「真っ先に対策本部へ駆けつけるべき心情」に駆られる事でしょう。

しかし、そこはご自身が述べられた通り、「電話対応で何とかなる」と捉えられていた。

ただし、本来であれば、自衛隊への派遣要請を「最高責任者の不在」で職員が要請しているのですから、常識的に考えると、たとえ「1時間後に会議が設定」されていようとも、市長公舎から飛び出し、午前6時40分には、対策本部へ到着するはずです。

この時点で、未だ、7時30分を順守する必要性があったのでしょうか?

今一度、東日本 大震災の発生時に目を向ければ、主要なる職員の殆どが、直ぐに対策本部へ駆けつけており、コレは「自分の役割を理解し、強い責任感と使命感を持っていたからこそ」と、後述されております。

こうした、人命を大きく左右する初動対応につきましては、設置された検証部会で充分に検証が行われ、報告されると存じますが、初動から、その後の対応一連に関して、市長は「防災計画のマニュアルに沿って、しっかり対応した」と、記者会見にて広く発せられました。

そこで、今回など災害発生直後より、国からは、東日本大震災をはじめ、近年も全国の被災地、その最前線で復興へ従事された方々が本市の対策本部へ駆けつけて下さっており、私も数時間に及ぶ取材をさせて頂きましたので、対策本部内の状況を、一部ご紹介させて頂きます。

「その都度、迅速に全庁的な対応策が求められる中、所管をまたぐ調整に、多大な時間が浪費され、全く物事が前に進まず、縦割りの行政が無情にも露呈された」。

「市長をはじめ、どなたに打開策を提案しても反応や回答が得られない状態で、これだけ迅速、かつ柔軟なる対応が望めなかった事は過去に例が無い」と。

経験豊富な「復旧対応のエキスパート」は、災害当初から対策本部で味わった経験を振り返り、憤りと無力感の連続であった旨を、口にされていたのです。

そこで、東日本大震災の後に、幾つもの検証リポートが挙げられておりますので、その中の一文を取り上げれば、「情報が圧倒的に不足して、被害の一番ひどい所からは何の情報も上がって来ない」「こうした過去の阪神大震災の経験も踏まえ、あらゆる事を断定的に推察して行った」「初動はマニュアル・ベースで進められたのではなく、様々な情報を収集しながら、その日、その時の現場で立案され、遂行されて行った」と。

翻り、本市の場合は、如何なる状況であったのか?

話は飛躍しますが、「法律」とは、国民の規範を明確に定め、一見、四角四面であり、融通が利かない様で、そこには、都度、あらゆる事象に対して、柔軟に適用されるよう、ある種の余白が残されています。

これを、あらゆる有事が発生した際に、対応策の規範として定められているマニュアルに照らし合わせても同様で、マニュアルは、あくまでマニュアルであり、そこを市長が自らの英断で飛び越え、態度で示すからこそ、本庁内や各区役所に於いても、都度「現場で臨機応変に最善を尽くす」プラットフォームが出来上がるのではないでしょうか。

また、私などは「市長が臨機応変に対応されなかった」と、全ての一切合財を、断定的に申しているのではありません。

しかし、国も自衛隊も準備を整えている。

市道の開通にしても、国主導では動けないので「市側から、Goサインだけ貰えれば、直ぐに動く」。

「なのに、そのGoサインが、全く発せられない」と、こう言った事実は枚挙に暇がないのです。

そこで伺いますが、市長は、この度の初動から今日まで、マニュアルに沿った自らの対応を「自らの検証」として、如何にお感じになられているのか、災害から約1カ月が経過した今、お聞かせ下さい。

そして、最後になりますが、発災から今日までを振り返り、この部分の答弁は不要と致しますので、松井市長へ、幾つかお伺いをさせて頂き、一般質問を終えたいと存じます。

この度の豪雨災害に際しましては、「想定外」との表現を用いれば、あまりにも無責任ですが、本市の近代史に於いて「未曽有の災害」であった事は間違いなく、如何なる時の政権であろうとも、及第点の得られる対応が困難を極めた事は確かです。

しかも、今現在、最も優先されるべきは、今ここに皆が一丸となり「オール広島」で、この苦境を乗り越えて行かなければならない。

そこで改めて、不眠不休で現場の最前線に従事する皆様へ、心からのねぎらいと敬意を表しますが、今日を迎えるまでに、一つ残念な事があります。

それは、災害発生から一連の、松井市長に関する言動です。

現場に携わる人々は、繰り返しとなりますが、自らの命を削りながら奮闘されています。

そして、一時避難を強いられるなど、被災された方々、愛する親族を、友人を亡くされた方々は、時に感情が昂ぶる事も、時に感情が著しく沈む事もありながら、その気持ちに何とか整理をつけ、今を懸命に踏ん張っていらっしゃる。

そうした、あらゆる人々へ対して、これまで市長が、その顔色や声色を通じて、安心感や希望を与えた事があったでしょうか。

消防をはじめとする職員へ対して、私が全ての責任を負い、君達の後ろについている。

「臨機応変に思う存分その力を発揮してくれ」と、心の支えとなる勇気を与えた事があったでしょうか。

人々の琴線に触れる、血の通ったメッセージを発しては、地域を団結させた事があったでしょうか。

また、近年、市長の言動に触れるにつけ、どこかのタイミングで全能感を得ては「なぜ君たちはコレくらいも分からないんだ」と、その尊い職責に就きながら、あらゆる対象を見限っては来なかったでしょうか。

それは、市民へ対しても、議会へ対しても、市の職員へ対しても、同様です。

そうした、常日頃の「自身の振る舞い」が、この度の災害で「一気に表面化した」と、僭越ながら私などは感じている次第です。

今なお、現在進行形で復旧が進められる折、そこへ対応する行政、そして、議会の主要メンバーが一同に会しては、この9月議会で貴重なる時間を割いているのですから、開期中も有意義な時間が築かれるよう、引き続き、真摯に取り組ませて頂く事を誓い、私の質疑を以上とさせて頂きます。

ご清聴、有り難うございました。