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2013年10月 決算特別委員会 建設関係(交通安全)

「平成24年度 主要な施策の成果」、建設関係の項目、「交通安全対策の推進」 ここへの実施額「7997万7千円」について伺います。

冒頭に、私がこの度、委員外で「交通安全に関して発言するキッカケ」について話をさせて頂きますが、ここに1つのオブジェがあります。

これは、広島市に於いて、2年前に飲酒運転による事故で被害者となり、16歳の若さで命を絶たれた、ある高校生の等身大パネルで、足元にあるのは、彼が生前に履いていた「確かなる生きた証」でもある靴となります。

そこで先ずは、最愛の息子さんを理不尽なる事故で失ったお母様のメッセージをご紹介させて頂きますので、しばし、お付き合い下さい。

「帰りが少し遅くなるから」
息子からメールがあったのは、2011年5月2日の夜8時頃でした。
高校2年だった息子は自転車競技部に所属。
4月の県大会は団体戦で2位の好成績を挙げ、
ますます熱心に練習するようになり、その日も、翌日からの合宿に備え、
競技仲間がいる別の高校を訪問していたのでした。
仕事から帰ったばかりの私は、疲れから、
うとうとしながら息子の帰りを待っていました。
リビングの電話が鳴る。 警察からでした。
電話口で告げられたのは、とても信じられない内容で、近くの県道で、
自転車と軽乗用車が衝突したこと。
自転車に乗っていた若者が全身を骨折、心肺停止となり、ICUに運ばれた事。
そして、自転車の登録番号が息子のモノである事。
一体、何が起きたのか、何をすれば良いのか、全く分かりませんでした。
娘に言って、何度も何度も息子の携帯電話に連絡させましたが、
全く繋がりません。
涙が頬を流れてくるのを感じました。娘はぶるぶる震えています。
病院に向かう車の中で、主人は部活顧問の先生に電話しようとしたのですが、
何度やってもうまくボタンが押せません。皆が激しく動揺していました。
息子に会えたのは、夜中の3時を過ぎてからでした。
息子は顔を包帯に包まれ、ベッドに横たわっていました。
包帯から覗く皮膚は腫れ上がり、両足の太ももは逆方向に曲がっていました。
どう声を掛けていいのか、私は言葉が見つかりません。
目の前にいるのが果たして本人なのか、どうも確信が持てなかったのです。
でも、親指の爪に付いていた歯の跡を見た時、「ああ、やはり息子なんだ」と
思いました。 時々、爪をかむのが癖だったからです。
事故の詳しい状況はなかなか、わかりませんでしたが、
しかし、通夜の日になって、事故に飲酒運転の疑いがあると報道で知り、
やがて、少しずつ全容が見えてきました。
あの夜、泥酔状態のドライバーの運転する車が中央線を大きく乗り越え、
対向車線を走っていた息子の目の前にいきなり現れ、はねたのが真相でした。
息子は車のフロントガラスに頭を突き入れ、ボンネットに乗った状態になり、
車はそのまま100メートルも走り続けたそうです。
そして対向車を避けた拍子に体は歩道に投げ出され、車は蛇行し、
50メートルほど先でやっと止まったという事でした。
ドライバーはこの日、知人と店で飲酒した後に運転。
ひどく酔っていて、事故を起こした直後も、駆け付けた人々に暴言を吐くなど、
手の付けられない状態だったと言います。
供述調書を読み、事実が明らかになると、
怒りと無念さで心が張り裂けそうになりました。
「どうして私の息子が命を奪われなければならないのか」。
「飲酒運転への社会の目は厳しくなっているのに、どうしてなくならないのか」。
息子の死をきっかけに、飲酒運転をわが身の問題として捉え、悲劇を防ぐよう
自分たちの力で何ができるかを考えるようになりました。
進学して、成人して、結婚して、子どもができて・・・。
そんな将来や命のつながりを息子は失ってしまいました。それが何より悲しい。
飲酒運転が厳罰化され何年も経つのに、悲惨な事故は今も後を絶ちません。
広島県でも飲酒運転事故数と死亡者数が昨年を上回ったと聞き、
あらためて憤りを感じます。
もうこれ以上、誰一人として「被害者にも加害者にもなってほしくない」。
今はそうした思いでいっぱいです。

メッセージは以上となりますが、この事故後、精神的にも多大なる傷を負ったご家族のお父様、お母様、ご兄弟は、今なお日々を戦っていらっしゃいます。

そして、二度と同じような悲劇を「この世の中に生み出してはならない」と、精一杯、乱暴運転、飲酒運転の根絶へ向けて活動をされています。

重ねて、こちらのご家族が最も危惧されているのは、この社会に於いて「人々の無関心」であり、乱暴運転、飲酒運転の根絶へ向けて、社会も変わらなければなりませんし、我々一人一人も、こうした広島市で実際に起きている事故を「他人事」と捉えるのではなく、我が身に置き換えては、自覚を持って日々を送って行かなければなりません。

想像を絶する深い傷を負いながら、そこから立ち上がり、「同じ様な境遇の人々を二度と生んではならない」と取り組んでいる広島市民がいる。

行政も、議会も、我々も、まだまだ何か出来る事はある筈であり、これより質疑に移らせて頂きます。

改めて、「交通安全対策の推進」 この内訳を見れば、未だ悪質なる交通事故などが後を絶たない昨今にあり、次世代への教育として、新入学前の子供達、また幼稚園・保育園児、各学校へ、年間で「541回」の「交通安全教室」が開催され、「2619万8千円」の予算が費やされております。

こうした、幼児期からの“交通マナーの学習”をはじめとした「道徳教習」は、長いスパンで捉えても非常に意義深い取り組みであると考えられますが、しかし、H24年度の「交通安全教室の開催対象」を小中高校に絞った場合、本市は、小学校で「237回」、中学校で「1回」、高校に関しては「ゼロ」です。

そこで、他都市で行われている交通安全教室と比較してみれば、神戸市で「482回」、名古屋市で「533回」、浜松市で「774回」、(この浜松市などは、高校生へも「76回」の交通安全教室が催されている)札幌市などは本市の3倍以上となる「806回」も開催しております。

勿論、この学生などを対象にした「交通安全教室」は、地域によって行う規模や形態も違いますし、委託業務で行っている都市もあるなど、一概に同列で比較できるモノではありません。

しかし、最も「車やバイクの運転免許・取得に近づく」高校生・世代に対して、本市は「ゼロ」にも拘わらず、一方では70数回も行っている都市があれば、トータルで3倍以上の安全教室を行っている他都市も見られるなど、単純なる比較は出来ずとも、相対的に都市の目指す方向性や、その熱量、本気度を「うかがい知る目安」には成り得ると思われます。
こう言った全国の取り組みの中で「広島市の現在地」を見出した時に、本市では、こうした「次世代への安全教育」、ひいては社会で暮らして行く上での「道徳教育の一環」とも言えますが、現在「やる所まではやって、最善は尽くしている」と、お考えでしょうか? それとも今後「まだまだ改善、拡充して余地はある」と、お考えでしょうか? お聞かせ下さい。

※行政側 答弁

殊更、強調するまでもなく、当然なる事として「事故や事件を未然に防ぐ」、「平和で安全な街づくり」は、何よりも「人づくり」から始まると思われますので、是非とも次世代への教育に、今一度、熱量を注いで頂きたいと存じます。

続いて、「交通安全・普及・啓発活動」に注がれた「895万3千円」について伺ってまいります。

この内訳を見れば、「交通安全運動・推進隊等の活動」に「412万8千円」、「交通安全運動の実施」に「475万6千円」などが注がれておりますが、この「具体的な活動内容」を、お教え下さい。

※行政側 答弁

そこで、「交通安全を普及、啓発、推進する」にあたり、対象となるのは、法定速度の超過となる乱暴運転や飲酒運転なども含まれると思われ、行政が予算を注いでは対策を打ったからといい、市民・県民に対して「即効性を持って、如実に効果が表れる」と、その費用対効果を拙速に求めるモノではありませんが、ここで、市内・県内の実情に目を向けてみたいと存じます。

平成25年に入り、1月から先月(9月)までの「交通事故・死亡者数」は、広島県で「75人」、広島市で「22人」。
「飲酒運転による死亡者数」は、同じく、この1月から9月までの間で、広島県で「5人」、広島市で「3人」。
「飲酒運転での検挙件数」を見れば、25年に入っての「同じ9ヶ月間」で、広島県で「479件」、広島市で「137件」の検挙数が見られます。

当然ながら、乱暴運転での交通事故をはじめ、飲酒運転の検挙件数にしても、一義的な責任は「当事者」にある事は言うまでもないのですが、行政としても予算を注ぎ取り組みを実施した、その成果について「手応え」を感じられているのか? まだまだ不足していると感じているのか? 如何、お感じになられているでしょうか? お聞かせ下さい。

※行政側 答弁

「決算」とは、来年度の予算編成に重要な役割を果たすモノですが、おそらく「交通安全・普及・啓発活動」の予算を、仮に来年度は「増額」としても、その予算を注ぐ取り組み内容により効果や成果は変わって来ると思われ、ここからは「今後」について話をさせて頂くとします。

先ず、世の中には「私は、常に安全運転だから大丈夫!」「私は絶対に飲酒運転をしない自信がある!」「私の周囲に、そうした該当者は存在しない」などの所感を持たれる方もいらっしゃるでしょうが、そうした方々が「被害者」として事件や事故に巻き込まれる可能性は、常に存在しております。

ならば、「自らが被害者になる」事を避けるとするならば、果たして何が出来るのでしょうか?

残念ながら、いくら注意しても、いくら手立てを施しても、突然、襲われる理不尽なる事故・犯罪から身を守る事は困難です。

そうであるならば、「被害者にならない」為の唯一の方法は、世の中に「加害者を生み出さない」事です!

ここへは、社会に身を置く一人一人が「絶対に自らは加害者にならない!」との決意と行動が求められますが、簡単な様で簡単ではありません。

では、「自らが加害者にならない」と言う決意、その動機付けは如何に形成されるのか?

ここへの一つの回答は、「被害者の苦しみ、家族の悲しみ、友人の嘆き」など「被害者の心情を深く理解する」事にあると思われます。

そこで、今後の予算実施に関して、先の「被害者の心情を深く理解する」との観点からも1つ提言させて頂くとしますが、広島市の市役所の講堂やロビーを利用して、「生命のメッセージ展」を開催しては如何でしょうか?

この生命のメッセージ展とは、乱暴運転や飲酒運転、犯罪等で、理不尽にも命を奪われた「犠牲者」一人一人の「等身大のヒト型オブジェ」、遺品の「靴」が展示されるもので、そこへは亡くなられた一人一人の素顔や、遺されたご家族からのメッセージも添えられます。

まさに、ここへお持ちしたオブジェが生命のメッセージ展で使用されるモノで、この生命のメッセージ展は、2009年から「特定非営利活動法人」が全国から要望を受けてはコーディネートし、これまでも全国各都市のホール、小学校、大学、少年刑務所をはじめ、行政関連でも、群馬や栃木の県庁、静岡や山梨、鹿児島の市役所などで400回以上も開催されており、私も、8月にメッセージ展へ足を運びました。

無慈悲に奪われた、尊い命の一つ一つの重み、そして、無限の可能性を秘めながら、その未来を奪われた無念、遺族の悲しみが、見る者の心へダイレクトに訴えかけて来るものがあり、正直に申し上げて、私は涙しました。

この催しは、開催期間や規模も要望に応じてくれ、小規模の展示であれば、開催場所への送料込み「10万円前後」の経費で開催できると思われます。

この世から、こうした悲劇を取り除くには「はじめの一歩」、出来る範囲から地道に取り組んで行くしかなく、行政からも議会からも、市民・県民の皆様へ発信するべく、先ずは我々から徹底して取り組んで参りましょう!

是非とも「交通安全・普及・啓発活動」の一環として、市役所や各区役所でも開催して頂き、職員や議員、そして、一般市民の方々に、是非とも足を運んで頂きたいと存じます。

「その効果は絶大なモノがある」と私はココに断言しますし、冒頭に「子供達への安全教室」についても触れましたが、生命のメッセージ展は全国の学校でも開催され、これまでも多大なる成果を上げております。

次世代への道徳教育、また「乱暴運転・飲酒運転の根絶」を目指し、例えば、こうした「生命のメッセージ展」の開催へ向けても、本市は熱量を注いで取り組んでもらえるでしょうか? お聞かせ下さい。

※行政側 答弁

先ごろ、市の職員が「事前の個別面談で飲酒運転の過去」がありながら、結果的に飲酒運転で検挙されてはニュースになった後、飲酒運転の事故により最愛の息子さんを亡くされたご家族とやりとりしたのですが、お母様が何と口にされたのか想像がつきますか?

「今後、飲酒運転の過去を告白した方々やアルコール疾患の方々が、職場で強い偏見を受け、孤立されないよう、そうした職場の環境、雰囲気づくりが先ずは大事であり、皆さんで一緒になって取り組んで下さい」と言われました。

「絶対に許せない!失望した!」などではなく、そうした方々まで思いやり、「偏見に受け、孤立しないよう、未然に行政全体で取り組んで下さい」と言われるのです。

改めて、思うのですが、本市は、「国際平和文化都市」を標榜しております。

話は飛躍しますが、たとえ核兵器が廃絶され、戦争の無い世の中が訪れたとしても、それで、イコール「平和が訪れる」わけでは無いと思われます。

平和都市として、全国に先駆け、世界に先駆け、行政、議会、地域、一丸となって、「乱暴運転、飲酒運転の根絶」を目指すべきで、例えば、「飲酒運転の検挙件数ゼロ」なども、決して不可能なる数字ではない筈です!

最後に、今一度「生命のメッセージ展」開催を要望すると共に、他にも「市民と市政」などの広報紙へ、アルコールに関しての知識や飲酒運転の実情を掲載しても良いのではないでしょうか?

また、小さな取り組みながら「核実験のゼロ・カウンター」ではありませんけども、市役所や各区役所に、飲酒運転の検挙数「ゼロ・カウンター」を設けたって良いと思われます。

飲酒運転で申せば、違反者は、検挙された後に、その理由を口にします。

「捕まらないと思った」
「近くだから大丈夫だと思った」
「翌日、車が必要だった」
「自転車だから大丈夫だと思った」

こうした身勝手な理由により、命を奪っても、奪われてもなりません!

1つの命の重み、その尊さを誰よりも知る広島市から、改めて、本気で「根絶」へ向け、皆さんと一丸となって取り組むべく、ここへ強く要望して、私の質疑を終わらせて頂きます。