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石橋りゅうじ 議会棟控室

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2011年6月 議会 一般質問

「ひろしま保守クラブ」の石橋竜史です。これより、会派を代表して質問させて頂きますので、これからのお時間、ご清聴の程、宜しくお願い致します。
まずは、今後へ向けた、「広島市の総合計画」について質問します。

この度、新市長が誕生された最たる理由は、「閉塞感の漂う、現状の打破」であり、また、「未来へ新たなる希望を見出したい」と言う、市民の皆様が、常日頃から抱いていた感情が、「明確に反映された結果」である事に違いありません。

そんな、行き場を求めていた多数の広島市民は、「これまで」からの転換を切望されると同時に、美辞麗句、「総花的」な取り組みではなく、何よりも共感できる、具体的な「街のビジョン」と「施策」を熱望されています。

そこで、今後、広島市が取り組むべく指針の掲示された、正にグランド・デザインとも呼べる、「広島市・総合計画」に目を移して行きたいと存じます。

ここ最近を顧みれば、平成21年、10月、市議会の議決を経て、「広島市の基本構想」が改定されると共に、「第5次・広島市・基本計画」が策定されました。

しかし、その内容は、「前市長のカラー」が色濃く打ち出された部分や、まだ、“国内にバブルの余韻が見られる時期”に策定された「第4次」の「広島市・基本計画」から抜け出せない部分も随所に見られます。

そこで、これまでのプロセスは尊重しながらも、市民の皆様が、今、この瞬間、最も望まれている事は、日々を暮らして行くにあたり、心の支えとなる「希望」です!

その、“当面の明確なる目標”から生み出される「希望」は、過去に囚われない、トップ自身が訴える、新たな、「松井カラー」から生み出されるモノではないでしょうか!

松井市長は現在、「心が通う対話」を重んじては、市民の皆様の意見を広く聴き、その声を「反映しよう」と尽力されています。

無論、「市民の声を、鏡の様に反映させて行く」ことは大事ながら、先ず! 街のトップに求められるのは、「トップ自身」が、どの様なビジョンを描き、その実現へ向け、「如何なるアプローチを図るのか?」との「確固たるリーダーシップ」ではないでしょうか。

そう考えれば、これまでの「広島市長」を振り返ってみても、例えば、「荒木市長」から「平岡市長」へと交代された際には、「廃墟の中から蘇り、新しい価値を育みながら未来へ羽ばたく」との期待が込められた、「ひろしまフェニックス21構想」を基に、内容の賛否は別にしても、“当面の明確なる着地点”を示すべく、「ひろしま新世紀・都市ビジョン」が策定されました。

誰もが把握できる「当面の明確なる目標」が設定されれば、閉塞感の漂う、このご時世にあり、市民の皆様も「希望」を見出しては、それが日々の糧ともなり、行政に携わる皆様も、取り組み易い事は、言うまでもありません。
そこで改めて、松井市長へお伺い致します。
総合計画に囚われない、「私は、こうする!」「こうしたい!」と、正に「松井カラー」とも呼べる、広島市における“近未来のマスター・プラン”を今後、「なるべく早期にでも打ち出す考えは、おありなのでしょうか?」

あるならば、現時点での、その具体的な内容を、お答えしては頂けないでしょうか。お願い致します。

次に、この広島市の、「平和行政について」質問いたします。
これまでの広島市は、人類史上初の被爆体験を通して、「核兵器の廃絶」と「世界の恒久平和」を広く訴え、取り組んで参りました。

現在、広島市が掲げる「平和施策クロス・セクション」の重点プログラムにも、「この“広島の心”を世界に伝え、国際世論を喚起し、世界平和を実現する事が、被爆都市“広島の使命”であり、この使命を果たすには、次代を担う若い世代を中心に、より多くの人々が、“広島の心”についての理解を深めて行く事が重要である」とあります。

そこで、今年の2月に、アメリカはワシントンDCで開催された、「アメリカ科学・振興協会」の会合にて発表された、その“研究成果”を伝える報道の中に、「小さな核戦争でも大規模な気候変動が生じる」との記事がありますので、ここで、紹介させて頂きます。

アメリカの政府機関が開発した“最新のコンピューター・モデル”によると、「地域的な核戦争」であっても、地球の寒冷化と降水量の減少が前例の無いレベルで、数年間は続く事が判明。
その後には、飢饉や病気の流行が、「広範囲にまで及ぶ」と推測されています。

このモデルは、TNT火薬で換算すれば「1万5千トン」、つまり、「広島レベルの核兵器」が“100回”使用された戦争を想定しているのですが、その想定量にせよ、現在、全世界が「保有する核兵器」からすれば、わずか、「0.03%」に過ぎません。

また、要約して申せば、もしも核戦争が起これば、爆発の炎で大量のブラック・カーボンが大気を覆い隠し、太陽熱や太陽光を奪う。
その結果、最も影響を受けるヨーロッパや、このアジアでは気温が3度から4度も下がり、温暖化ならぬ「寒冷化」が進んで行きます。

年間の降水量も減少し、世界の農業は大打撃を受け、核の使用が行なわれた後、「向こう7年間は、完全なる回復が期待できない」。
そして、「地域レベル」の核戦争でも、その影響は、「地球レベルにまで及ぶ」と締めくくられています。

何を言わんかと申せば、今後の平和行政として、「次代を担う若い世代を中心に、より多くの人々に“平和の尊さ”を理解して貰う必要がある」ならば、被爆都市として、被爆の惨禍、その体験を継承して、今後も、広く世界へ発信しながら、その一方で、核が、現在の環境、並びに、「世界の人々の日常生活に及ぼす影響」も「並行して、熱く発信して行くべき」ではないでしょうか?
そうすれば、“戦争を知らない世代が担って行く”今後の社会において、より“広島の心”に対しての理解、共鳴が深まると思われます。

また、これからを担う、「次の世代」に関しても、街の中心部に集う「若者の人口分布」を、同様の中枢都市である札幌や福岡と、この広島市を比較した場合、若者が増加、もしくは大幅に増加している「札幌や福岡」に対して、広島市は、都市の中心部から、「若者が大幅に減少している」データが出ております。

何も、若者に限定した話ではありませんが、街が活気に満ちて、広島市民の笑顔が溢れるのであれば、対外的にも、市長が掲げられた「迎える平和」として、これ以上の「平和・発信」は無いと思われますが如何でしょうか?

そこで今一度、ここに質問いたしますが、「松井カラー」とも言える、「平和行政へのアプローチ」を、お伺いするモノであります。

次に、広島市が掲げている、「スポーツ振興」について質問します。
スポーツに取り組む事によっての健康の保持・増進、子供達の発育期においては、忍耐、努力、協調性など、社会秩序の学習。

また、人々が共にプレーする事から生まれる連帯感や、醸成されて行く「地域コミュニティ」。
スポーツチームを応援する事により生まれる「高揚感」に「一体感」などスポーツが持つ可能性は壮大です。

ゆえに、オリンピックが「世界最大の祭典」とも呼ばれれば、サッカーのW杯など、開催都市によっては、1ヶ月弱の大会期間中に、延べ、360億人もの人々が「TV観戦をする」とまで言われています。

また現在は、国家プロジェクトとしても、小学生の体力低下やメタボリック・シンドローム対策。
「生活習慣病の予防」やこれからの“超・高齢社会”へ向けての「医療費・抑制」と、医療や福祉の面からも、「スポーツ振興」に力が注がれている状況にあります。

そこで、この広島市でも、国の方針に則って、また、「第5次・広島市・基本計画の1つ」としても、施策が検討されました。
それが、今年の3月に発表された「広島市・スポーツ振興計画」です。

内容に掲げられた「数々の課題や目標」がクリアされるのであれば、スポーツを通じ、明るく、活力ある広島市が形成されると同時に、郷土愛も育まれ、無数の相乗効果が見込まれます。

かく言う私も、アナウンス業で、長年にわたってサンフレッチェ広島やカープの現場にも携わり、現在も、地域体協のソフトボール「2チーム」、他にも、サッカーや、バレーボール・チームにまで所属しては、現役としてプレーしております。

それだけスポーツを愛し、プロ・アマを問わず「現場を知る」私としては、近年、スポーツに対する「広島市の姿勢」に疑念を持たざるを得ません。
確かに、苦しい財政状況にある広島市ではありますが、各地域のスポーツ、町の活気を牽引する「各学区・体育協会」への活動・助成金は、平成16年度から据え置き、もしくは厳しくなる一方で、現場からも、「これ以上の手弁当では無理」との声が上がっています。

地元における「プレーヤーの見地」からも同様で、例えば、“自らの日常”全てを捧げ、ようやく「国体・出場」の切符を掴んでも、そこを労い、補助をする「国体選手への助成」など、未だ、広島県は継続されていながらも、広島市は「廃止」とされました。

また、「スポーツでの雇用創出」との観点からも、広島市の各区に設置されているスポーツ・センターには、地域活動を推進するために「コーディネーター」と称する職員を市の費用負担で配置していますが、外郭団体の人員整理に伴い、次々と「減員」されているのが実情です。

リストラとは本来、再構築が行なわれ、「より良い環境」を生み出す為に行なわれるモノでありながら、「退職・職員数」を、「新規採用・職員数」が上回らない方法で人員の削減を繰り返して来た結果、“スポーツ関連の職員”などは、ポッカリと、「若い世代が不在」の状態に陥っております。

確かに、「無駄」は是正しなければなりませんが、街の未来を形成する「人材」は、お金に代えられません。
また、人材を育成するには、それ相応の歳月を要するのです。

この広島市の現状を踏まえると、「スポーツ王国広島を目指す」とのスローガンも、「果たして、本当に達成できるのだろうか?」と感じられてしまいます。

しかも、策定された「広島市・スポーツ振興計画」には、全国でも“稀代の存在”と言える、トップレベルのチームから成る、NPO法人「トップス広島」の存在価値、その活動方針、大切な役割などが、克明に説かれておりますが、私は、「トップス広島」の幾つもの競技関係者の方々とも、「いかにスポーツを通じて地域を活性化させようか?」と長きにわたり幾度も意見交換を行なって参りました。

果たして広島市は、この「トップス広島」に対して、今日まで、どれだけ手を差し伸べ、また、共に活動し、ビジョンを共有して来たのでしょうか?

地元広島に、トップレベルのチームが次々と育ちながら、市は、その貴重なる存在を、どこか当たり前に捕らえて来た観は否めません。
行政にも、求められるは「チーム・プレー」であり「フェア・プレー」です!

そこで、松井新体制における、今後の「スポーツ振興」について質問させて頂きます。
一つ、改めて、広島市のスポーツに対する考え方について
一つ、学校体育施設やスポーツ施設の「整備方針」について
一つ、スポーツによる地域活性に向けた「人的・支援方法」について
一つ、全国でも貴重なトップス広島を、今後、如何に支援、協力、活用して行くのか?
その「具体的・内容」について、お考えを、お聞かせ下さい。
また、市長は先だっての所信表明で「日本古来の、武道の振興などにも取り組む」旨を口にされましたが、例えば、市内でも「沼田高等学校」には“体育コース”が設けられ、剣道や柔道と言った武道を志す多くの生徒が、日々、心と身体の鍛錬に励んでおります。

こう言った、学校単位でビジョンを描いては研鑽を積む事により、現在、この沼田高校では、先だってのベルギー国際柔道大会で優勝した高野ミサキ選手をはじめ、その前途に「世界的な注目が集まる」広島の財産が芽吹いている事は、大変、喜ばしいと言えるでしょう。

しかしながら、体育コースは、県内一円から生徒が集まるので、遠方から入学して来た生徒は、近隣に下宿している状況にあります。

生徒たちが集中して日々の練習に取り組み、食生活を含め、健康管理、生活環境を整える為にも、こう言った学校に「学生寮を設置する」などの環境整備を進め、「青少年の競技力向上」を図って頂く事を、重ねて強く要望いたします。
いずれにせよ、他都市に目を移せば、学ぶべき点は、多々、見られます。

神戸市では、1995年の阪神・淡路大震災の後、「いつでも、どこでも、誰でも、自分の好むスタイルで自由にスポーツや健康づくりが出きる街」を目指し、街の復興に役立てば、スポーツで「雇用までも」生み出そうと「神戸アスリート・タウン構想」を策定しました。

そして現在も、子供から高齢者まで、多世代の市民が、多種目のスポーツに取り組める振興施策が実施されています。

また川崎市では、スポーツを通じて“街の活気”を生み出すと同時に、「川崎」を全国へアピールする一つの手法として、「川崎市ホームタウン、スポーツ推進パートナー」を制定。

行政側が、アスリートを「スポーツ推進・大使」として認定し、認定されたアスリートは、積極的に地域活動へ参加。
頻繁に市民との交流を図り、「スポーツクラブと地域が互いに支えあう」実績を残しております。

その一例を挙げれば、サッカーJリーグ、川崎フロンターレの選手は、小学校6年生の算数ドリルに登場しては、問題を出題。
とかく、ルーティーン化する授業に“一役”買っては、子供達の人気を集めています。

また、1997年からは、選手たちが、チームカラーである「青色のサンタクロース」に扮し、毎年、クリスマス時期になると、川崎市内にある複数の小児病棟を慰問する試みが、現在も継続して行なわれています。

行政は民間へ、民間は行政へと、互いに先方へ「旗振り役」を求めてしまいますが、川崎フロンターレの後援会長は、川崎市の市長であります。
“思い立った者”が声を上げ、能動的に取り組んだらば、「スポーツ」と言う、一つの文化を通じて、“地域へ多大なる活気と、温もり”をもたらすのではないでしょうか。

続いては「旧市民球場跡地の活用」に関して質問します。
郊外に大型ショッピング・センターや誘致企業、各大学なども林立し、街の中心部に「人々の集まる目的」が、希薄になりつつある昨今。

また、市長が「所信表明」で掲げられた様に、「世界に誇れる広島市」を創出する上では、やはり“拡大・都心核”とも言われる「八丁堀、紙屋町地区」の「旧市民球場」をはじめとし、「このエリア一帯を、如何にデザインしては活用して行くか?」が、今後の「重要な鍵を握る」と言っても、過言ではありません。

その重要度を、市長も「充分に認識されている」からこそ、広島駅と旧市民球場跡地・周辺を「東西の核」と位置づけ、この度「楕円形の都心づくり」を発表されました。

また、旧市民球場の跡地・活用策に関しては、コンペの優秀案となっていた「折鶴ホール」と「森のパビリオン」が跡地整備の計画から除外され、移転する予定であった商工会議所ビルも、期限未定のまま、“移転の延期”を発表。
今後の行方を、「広く意見を求めて検討する」にあたり、現在のところは、この定例会のご答弁でも頂いた通り、財界、地元商店街、若者などを中心として「検討委員会が設置される運び」となっております。

そこで先ず、我々は、この現状を認識しておかなければなりません。
今日まで、「合意形成を図り、手順を踏んで来た」と言われ、6年間の歳月を費やしながらも、結局は、計画が「ゼロ・ベース」へ戻りました。

計画が「見直し」となれば、これまでの「緑地広場案」をベースに、その行方を模索する事となりますが、「ゼロ・ベースに戻る」となれば、それは“完全なる白紙”を意味し、意味合いが異なって参ります。

そこで今回の件を、会派を通して確認したところ、今回は「ゼロ・ベース」との事ですから、これからは、自由で闊達なる意見交換が行なわれるでしょうし、市民の皆様も、大変なる期待を寄せているのではないでしょか。

しかしながら、“旧市民球場跡地”の利用計画が混迷を極めた結果、今、こうしている間にも、この広島市は現在進行形で、観光客や、経済波及効果を「失い続けている」状態にあります。

そこで、今後、その行方を「松井新体制」の下で進めて行くにあたり、“同じ轍”を踏まない為にも、まずは、これまでの問題点を改めて、皆様と共に検証しておきたいと存じます。

まず、1つ目の問題点は、「一貫したコンセプトの不在」でした。
「150万人の集客を目指す」との無根拠な数字に固執しては、最も重要となる、総合的に「街を如何にデザインしたいのか?」

また、球場跡地から「如何なるメッセージを発信して行くのか」と言う、テコでも動かぬ「明確な基本理念」が打ち出される事な無く、暗礁に乗り上げた際も、「原点に返る」、この「原点」が常に不在だったのです。
故に、当初は「民間の活力を最大限に活用する」と謳われながら、「この度の跡地は、広島市が公共事業としてやるモノで」と言った具合に「掲げていたモノ」が転換されれば、市民の憩いと賑いの創出を掲げられながら、その大事な一角へ商工会議所ビルの移転が認めたりもする。

そんな、不安定であり、不明瞭なプロセスにおいて、常に市民はメッセージを発信していました!
その詳細を、ここで御紹介するのは割愛させて頂きますが、今一度、「民意」であり、市民のメッセージに触れるべく、あるアンケート結果をご紹介したいと存じます。

これまで「同跡地・問題」に関する数々のアンケート結果が報じられておりますが、「設問内容」や「ロケーション」により「偏った意見結果」が導き出される傾向も見られ、なかなかフラットなる見地からの「アンケート結果」が得られません。

そんな折、2009年の2月に、ある民放テレビ局が、市民、1500人を対象に行ない、報じられたアンケート結果は、その膨大なる対象人数に、公共の電波を扱うテレビ局が調査した事もあり、公平で、かつ、非常に信憑性の高いモノでしたので。

Q旧市民球場・跡地の利用方法について、広島市の計画が、活性化につながると思いますか?
A:活性化につながると思う 35.6%  思わない 64.4%

Q広島市は「150万人の集客」を約束していますが、現在の計画で可能だと思いますか?
A:可能だと思う 13.9%  思わない 86.1%

Q広島市は2009年・秋に市民球場の解体を始めたいとしていますが、このまま、この計画を進める事が良いと思いますか?
A:このままで良いと思う 16.5%  思わない 83.5%

議会でも、度々論戦となった「旧市民球場の解体」ですが、当時でも1500人中、「約1260人」の市民が解体に反対していたのです。

現在は、幸いにも協調路線が取られておりますが、都心開発となる、重要な計画がスタートしてから約6年。
「多大なる時間、人員、経費」を費やし、結局、紛糾してしまったのは都度、「民意に逆行して来た結果」に他なりません。

そこで、今後を見据えるにあたっても、僭越ながら、私の経験談を補足させて頂きます。
これまで、旧市民球場・跡地の活用策は、「緑地広場」を基調として、イベントで賑いを創出して行く。

ゆえに、前市長や理事者の答弁では、「球場を解体し、その場所を、出きればニューヨークのセントラルパークの様にしたい」と、幾度も語られて参りました。

私は、このNYをはじめ、北米に「1年間」住んでいましたのでこれだけは言えますが、セントラルパークが出来たのは1870年代。

その壮大なる公園は、当時、マンハッタンの中でも栄えていたエリアの“かなり北側”に「憩いの場所」として設けられたモノであり、当初から「街のド真ん中に公園を築く」とのコンセプトではありません。

郊外へ築いた公園が、街が発展して行くに連れ、結果的に「町の中心部に位置した」もので、街の重要拠点に、人々が率先して「緑地」を求めていた訳ではないのです。

また、夜間に、セントラルパークを通過するドライバーの誰もが心掛けていた事は「危険なので無闇に公園内で停車するな」でした。
それだけ、街の中心部にある“広大なる公園”が見せる「夜の顔」は危険であり、犯罪の温床となっていたのです。

この広島市でも、大きな緑地公園を「球場の跡地へ」となれば、夜間は、街の中心部へ、暗く、人気のない空間が生まれる“現実”を当然「想定できる」にもかかわらず、「市民の安全」を充分に考慮するべく、その辺りを検討、報告された形跡は、残念ながら見られません。

そこへ持って、市は去年の6月、「跡地整備の概要と、新たな賑いづくりに向けて」を作成されましたが、末席ながらも、国内外のショービジネスに、過去20年間も携わって来た私の「実体験」を申せば、「不定期なるイベントでの賑い創出」ほど、脆弱であり「メドが立たない」モノはありません。

ある程度の集客が見込める既存のイベントにしても、フラワー・フェスティバルにフード・フェスタ、菓子博然り、先行する投資予算は、それ相応の負担を誰かが強いられます。

また、民間を含め、それだけの妙案が存在するのであれば失礼な表現とはなりますが、今頃、シャレオや観音マリーナなど、「現在の数倍」は活況なるスポットに生まれ変わっている事でしょう。
「真のアイデア」と言うのは、“場所や条件に左右されない”からであります。

そこで、返す返すも重要なのは「集客数を念頭に置く」であったり、ターゲットの年齢や性別を絞り込む、また、あの球場を単体で考えるのではなく「エリア一体を、如何に魅力ある場所するのか!」。

また、東京や大阪と言った大都市を追随するのではなく、決して他都市が真似の出来ない、広島の歴史や地域性を最大限に活用した「オリジナリティ」です。

遡れば、この広島に原爆が投下され、「向こう75年間、草木も生えない」と言われた場所の中心に、また、誰もが、憎しみと悲しみの感情に包まれていた時代に、我々の先人は「市民の野球場」を生み出した。
先輩方の「発想と行動力」、何より、その「豊かな心」には敬服するのみであります。

現在の広島市も、飛び出す言葉は「厳しい財政状況」ですが、ならば、当時の広島市や、旧市民球場の建設資金を工面した民間企業、市民の人々が、「そこまで潤っていた」のでしょうか?

苦しい中にあり、豊かな心と人々の情熱で「夢の器」が生み出され、その後、広島カープを通じ、半世紀以上にもわたって、市民の心へ希望と活力を与え、先行きの見えぬ暗い時代に、街の中心部から、この広島市を、照らし続けてくれたのです。
そんな「復興の象徴でもある市民球場」ですから、市側へも、「保存、活用してくれ!」と、市民から強い要望が寄せられます。

これまでは、ライトスタンドの一部が補修、補強された上で保存される事になっていました。
ライトスタンドの、グランド・レベルに近い部分は「休憩施設」として、また上部は「平和公園も見渡せる展望テラス」として活用するとあり、そこへ付随し、ライトスタンドの下には、トイレや、備品などを収納する「倉庫も整備したい」と。

例えば、「一部を保存する」との“市民の声”を酌んだのであれば、新しい耐震基準が定められた後の、ここ20年で増築され、トイレや倉庫も持ち合わせては、上部からは、より平和公園を見渡せる内野席、3塁側のスタンドを、なぜ?保存、再活用しないのか、正直、理解に苦しみます。

何より世界を見渡せば、時代の潮流は既にスクラップ&ビルドを繰り返す様な無情で、未成熟な世の中ではありません。

ドイツの都市、グラスデンなど、「第二次世界大戦」当時に空襲で破壊された教会の瓦礫を、その後、人々が数千、数万パーツと集め、資金面、技術面での支援者を募り、世界最大のジグゾー・パズルと言われながら、十数年もの歳月を費やし、敵と味方の「和解の象徴」として、その教会を復元したのです。

ならば、旧市民球場は、その歴史背景を鑑みても、「人類、負の遺産」とも称される原爆ドームと対峙する、「人類、生命力」の象徴であり、これらが、「二対で一つのモニュメント」と呼べるのではないしょうか。

そこで、未来へ「継承して行く」市民球場の“保存パーツ”に関しても、「市民の声」や「議会の決議」を尊重するのは、無論、大事ながら、そこへ並行して、新たな希望を担う新市長が「私は、こう思うのです!」との自らの意見も非常に重要であり、ゼロ・ベースとなった、是非ともココで新たに検討しては如何でしょうか?

先人を尊び、文化財とも言える旧市民球場、その最大限の活用法を見出したらば、これだけでも、全国的なニュース・ソースとなり、広島市のPRにもつながります。

「広島らしさ」とのオリジナリティを追求するにあたり、求められるは「街づくり」以上に、如何に「今の街並みを効率よく活用、継承して行くか?」の「街づかい」です。

また、先ほども話に触れた「検討委員会の設置」ですが、大事なのは、委員会メンバーの「人選」です。
これまでの慣例を刷新する意味でも、既得権益に縛られない、ニュートラルな見地から、公正なる人選が行なわれる事を、並びに、「検討委員会の声」は、あくまで「民意を反映させるサポートの声」であり、検討委員会、有識者の声が過度に重んじられる事のないよう、常にバランス感覚を持ってのご検討を、ここに強く要望いたします。

そして、私は過去、数年間にわたり、紙屋町から八丁堀に至るまで、何百件にも及ぶ商業施設等を自らの足で“一軒一軒”回っては、跡地活用に関する意見を「つぶさに」伺って参りましたが、市が、これまで取り組んで来た現行案への賛同者が、ウソ偽りなく、ほぼ「皆無であった事実」と同時に、誰もが、その行方を案じ、1日でも早い「道筋の決定」を望まれています。

そこには「人々の生活」もあり、悠長なる猶予期間が存在する訳ではありません。

また、街の行方を占う、この大事な問題を解決して行くにあたり、何かと「菓子博」が免罪符であり通行手形に用いられる傾向が多々、見受けられますが、決して、菓子博を軽んじるのではなく、1ヶ月弱の博覧会を必要以上に考慮して検討をすれば、その「ほころび」や「影響」が、後々、必ずや生じて参ります。

そこで、改めて松井市長にお伺い致します。
「旧市民球場の保存パーツ」にしても、市長は「再検討する」お考えを、お持ちでらっしゃるのでしょうか?

また、菓子博の開催準備を図りながら、跡地利用の行方を決定、並行して事業を進めて行く事は、充分に可能であります。

1日でも早い結論を地元が望む中、目算として、いつ頃を目処に、「最終結論を出そう」と考えてらっしゃるのでしょうか?

そして、私は先ほど、「八丁堀・紙屋町地区」の商業施設等を“一軒一軒”回った話を持ち出しましたが、その際には、「広島市が、今日まで進めて来た現行案には疑問点があり、これまでも充分なる説明すら受けていない」。
「今後のビジョンも無いまま、性急に球場解体へ走るのではなく、地元市民の声に耳を傾け、みんなで活用策を考えるべきである」との意見を訴える署名が、地元の商店だけでも、「約200軒」集まりました。

また、2010年3月、当時の市議会議員20名の署名、請願書と共に「広島市が掲げる現行案は、今後、広島の発展に繋がらないと考え、跡地利用計画の抜本的な見直しを要望。市民球場の一部を改修、再活用して、多目的サッカースタジアムと平和文化施設、および、市民の憩いの場の整備を提案」との主旨で寄せられた、「23,295人」分の署名が提出されましたが、今月15日には、その署名が、「松井市長宛」に再提出されております。

当然ながら、私も、ここに賛同する者ではありますし、そもそも、私が、市議会議員に立候補したキッカケとなったのは、明確なるビジョンも無く、未来の指針すら定まらぬ内に、広島市民と苦楽を共にしては、本当に愛された球場を無慈悲に破壊した、「そんな市政を改革したかった」からです!

そこで、今一度、市長にお伺いします。
「市民が満場一致となる」計画決定は難しいながら、200軒以上にも上る、地元商店街の声。
そして、市民球場跡地から「スポーツと様々な文化で広島を活性化させたい」との沢山の方々の熱い思い、その声を、市長は如何に受け止め、また如何に今後へ反映させて行くのか?
そのお考えを、お聞かせ下さい。

質問を、以上とさせて頂きますが、市当局の誠意ある答弁をお願いするものであります。
ご清聴、誠に有り難うございました。