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石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
「ブログを書くスタイル」なんて、人それぞれで「正解」など無く。
しかし、ネット空間たるや「パブリック・スペース」とも呼べるわけであり。
そこには、最低限の節度が求められる?のかも?しれませんし。
加えて「身の上話」にせよ、何でもかんでも臆面も無く書き綴るのは…
「NG」とまで言わずとも、これまた最低限の社会通念が必要?なのかも?
と、そんな前フリなど、今宵は全て無視をして、無垢なるままに吐露すれば。
いやはや。今現在。泣き疲れました。はい。
養い、立派に育てる事を「育成」と言い。(広辞苑より)
日常に於いても「育てる」「人材育成」との言葉を頻繁に耳にしますが。
言わずもがな「育てられる側」よりも「育てる側」に、より根気が求められ。
ひとたび何かを、誰かを、育成するにせよ、簡単な話ではございません。
また、如何なる世界でも、確実に「最初は誰もが一年生」。
そこで唐突ながら、恐縮ながら、話は十数年前の私へ遡ります。
テレビやラジオにイベント、等々。
当時、喋り手として年相応の経験は「積んでいた」のであるからして。
人前にポンと放り出され、フリートークを展開するのは朝飯前…
に、「成り始めては」おりました。
しかし、こと「ナレーション」の様に、正しいアクセントを駆使しながら。
滑舌も良く、声量、抑揚、明瞭に、「キチンと原稿を読み、語る」。
こうした喋りの基礎的な部分が、著しく「未発達」の私を。
事ある毎に、CMや番組の「ナレーター」に推挙して下さっては。
ナレーションの現場にて…
「まだまだ彼は駆け出しだけど、イイものを持っているので使って行くべき♪」
と、録音に立ち合う、真剣な眼差しのスポンサーの方々へ向け。
拙い私のナレーションを「私になり代わりまして」都度、頭を下げてくれ。
根気よく、それは根気よく、私を起用し続けて下さった…
“業界の先輩”がいらっしゃいました。
そんな当時から、約10年ほど経過した頃になると。
お陰様で、私は年間に約300本ものナレーションをこなす喋り手となり。
(私ごときの喋りが「上手い」or「下手」は別にせよ、数で申せばの話)
あるナレーションの現場では、変わらず前述の先輩が働いていれば。
同氏が、録音に立ち合うスポンサーさんへ向けて、いつの間にか。
「どうです?上手な彼をナレーターに起用して正解だったでしょ♪」
と、私を一人の喋り手として認め、誇らしく語って下さっていたりも。
「りゅうじ!」「おい!りゅうじ!」「りゅうじよぉ♪」
いつも私を気に掛けて下さり、何よりもココまで育てて下さった。
当然ながら、かけがえのない恩人(アニキ)です。
それから、私は喋り手の世界から政界へ進み。
先輩は、その手腕を買われ、転職をされ、年に数回しか会わなくなり。
あれは1カ月ほど前だったでしょうか。
偶然、街中でバッタリと出会った際に。
「おお!石橋先生じゃないかぁ!」
と、明るく冗談交じりに言葉を掛けて下さり、先方が仕事中もあって。
二言、三言を交わしては、直ぐに、その場は別れたのですが。
それが、永遠の別れになるとは。
昨日、突然ですが訃報が飛び込んで来まして。
その先輩が、不慮の事故で亡くなったとの事。
先ほど、お通夜から帰って参りました。
なんだかな。泣き過ぎて、頭は痛いし。
たまんない。たまんないですよ。正直。
でもブログとは「ウェブ上の記録」ウェブ−ログで、ブログなわけで。
アニキの存在を公共空間に刻んでおこうと、パソコンへ向かった次第です。
顧みれば、多いな。私には恩人が。
まだまだ、ご恩返しが足りておりませんけども。
報いないと、応えないとね。
時間を掛け、多大なる、お心遣いも頂戴し。
育てて頂いたのですから。
アニキをはじめ、それは多くの人々に。
投稿日 : 2017年7月26日
『無題(ちょっと思い浮かばぬゆえ)』