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おそらく、あれは10年程前になるでしょうか。

私が議員にさせて頂く前、まだ喋り手として走り回っていた頃。

ロケ地として、呉にある「海の家」を提供、協力して下さったのが…

「彼」と知り合うキッカケだったと、記憶しています。

その後、共通の友人を介しながら、交流を重ね。

また、彼が名門・強豪の「広商野球部」出身だった事も手伝い。

一緒に幾度か草野球に興じた事もありました。

何より彼は商才に長けていて、繁華街にBAR「スワロウテイル」を開業。

ある日、そこへ訪れたお客さん(外国人観光客)より…

「原爆について」の質問を浴びながら、何も答えられなかった事を機に。

改めて、原爆資料館に足を運べば、図書館へも出向くなど。

「過去の歴史」と向き合います。しかしながら。

学びへの欲求は留まらず「もっと人間味のある話を聴きたい」と渇望され。

しかも「1人で聴くだけでは勿体ない」「みんなで一緒に聴こう」。

こう思い立ち、毎月6日、自らが営むBARをステージに。

原爆の語り部「被爆体験者の証言会」を始められます。

コレが2006年の話。

「継続とは力なり」で、今日まで続けられた証言を聴く会には。

老若男女、多種多様なる多くの人々が足を運び。

過去には、彼自身が被爆者の方々に電話で直接アポを取り…

「開催日を迎えるまで」の模様がテレビで特集、報じられたりも。

そして“運命”と表現すれば無情であり、納得は行きませんが。

昨年末、急に声がカスレ、年明けに精密検査を受けたらば。

彼は、ステージ4の肺がんである事実を告げられます。

放射線治療に抗がん剤治療と、入退院を繰り返しながら。

でも「被爆者の方々が辛い体験を話されるのに、これぐらいでは…」

と、彼は周囲の協力を得ながら、証言を聴く会を継続される。

体は痩せ細り、ベッドに横たわりながらも、懸命に前を向く。

こうした彼の姿を、この半年間も。

各メディアは追跡で取材、報じられていたっけ。

(勿論、土足で踏み込む好奇の視点にあらず応援の由で)

そんな最中、私も「元気づける」のが良いのか?悪いのか?

ここらの答が見つからず、見当たらずとも、彼に何かを。

彼を応援している、気持ちにせよ、力にせよ、何かを届けたい。

その一心で、6月に彼の入院している病室を訪ねては。

懐かしんでくれるかもしれぬ、一個の硬式ボールと。

高校球児の聖地でもあった、旧広島市民球場の模型を届けました。

振り返れば、病床に不謹慎だったのかもしれません。

しかし、野球少年にとって「ボール」は永遠の愛玩、その対象であり。

それは、私が何より野球を愛し、プレーしていた同士であるからこそ。

「きっと相通ずる」との根拠なき確信があったモノで。

でも、どう感じてくれたのかな?

今は確認する術もございません。

彼は今月の3日、37歳の若さで亡くなられました。

名を、「冨江(とみえ)洋次郎」。

生前、彼は言っていました。

「被爆体験は、原爆による被害や悲惨な話だけではない」。

「そんな中でも“必死に生きて来た”人間の話である」と。

今日までに「140回」を迎えていた“証言を聴く会”は。

今後も彼の意思を確かに継ぐ仲間によって、継続されるそうです。

豊かな感受性を持ち合わせ。

自らを通じながら、多くの人々に、多くを教えてくれた。

洋次郎君。ナイス!バッティング!

投稿日 : 2017年7月11日
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