広島市安佐南区から市政を新たに! みんなでいっしょに変えて行きましょう!
石橋竜史(いしばし りゅうじ)の公式Webサイトです。
さて。
この度、取り上げたるは勿論…
おっと!ホットな!仮装の都知事!
つい手元を誤ってしまいました。( ̄◇ ̄;)
もとい、スポットを当てるは、勿論。
広島生まれの広島育ち、2000年から広島でプレーしては…
広島一筋17年。
今季で引退を表明した、森崎浩司選手。
丁度、私がサンフレッチェでスタジアムDJに就任したのが?
2000年の2ndステージでしたので、ホームゲームに留まらず。
クラブ関連のトークショー等が行なわれる際は、事ある毎に御一緒し。
その後、彼の結婚披露宴では、私めが司会も務めさせて頂くなど。
長きに亘るお付き合いをさせて頂いているのですが。
今一度、表現するなれば?
人懐っこく、優しい、本当にピュアな男。
ゆえに、その真面目さが、幸いしながら、災いもして。
「オーバードレーニング症候群」を発症してしまい、プレーはおろか。
笑う事も泣く事も、家から出る事も出来なくなった時期も。
そんな長期離脱がありながら、病気とブランクを克服したかと思えば。
他方で「2度のJ2転落」も、多くのサポーターと共に味わった…
今となっては、いつの間にかベテランと呼ばれる古株選手。
そんな彼の、今季に留まらず、現役選手としての「ホーム」最終戦。
如何なる予定があろうと、立ち会わずにはいられませんでした。
約2万3千人が埋めるスタジアムで「先制」したのは?!
我らがサンフレッチェ広島!
得点者は、浩司君と苦楽を共にしては、同級生でもあり…
クラブを「4年で3度の優勝」に導いた立役者、佐藤寿人君!
いきなりの“最高潮”が訪れ。
これ以上のドラマを演出するには、唯一“アレ”しかなかったのですが。
サッカーの神様とは、因果応報により、当該の選手やサポーターへ。
キラキラと輝く、最良のプレゼントを贈り、届けてくれる。
ピッチ上に表現、表出されるは、浩司君の追加点!
スタジアムには紫色が狂喜乱舞します♪
そして、誰もが試合時間、制限時間、残り時間を惜しみながら。
タイムアップ。
試合後には、彼の引退セレモニーも行なわれ。
言わずもがな、試合前から試合中、試合後と「ココまで」に。
幾度もの“泣きどころ”が訪れている訳で、私など号泣の連続。
ある意味で、脱水症状も宜しく、涙も枯れ果てておりましたが。
やはり。
最後は、彼に直接「ねぎらい」の言葉を届けたく、ピッチ上へ移動する事に。
全選手は試合後の場内一周ラウンドを終え、ロッカーへ帰り。
観客席の前には「森崎兄弟」(双子の兄と共に)が残っているのみでしたので。
森崎兄弟のもとへ向かうべく、歩き始めた瞬間!?
誰も居ないはずのベンチに、一人、座っている選手がいる。
アレ?
無論、誰も気づいていない。
近寄ってみると、そこには寿人君の姿が。
「ナイス!ゴール!」と話しかけると、静かに「語り始める」と言うより。
「吐露」の域。
気持ちを吐き出す様に、言葉を発し始める。
「出来れば同級生3人で一緒に引退したかったです」
「淋しいっスよ…」。
「3人」とは、寿人君と森崎兄弟の事で、この3人の中にあり。
引退を表明したのは、浩司君のみ。
紛れも無い“本音”だったんだと思います。
何も30代も半ばに差し掛かり、ベテランを迎えた選手の話にあらず。
世には「約1000人」のJリーガーが存在しますが、その選手「平均」寿命は?
4年。
年齢を負おうが、負うまいが、毎年一年一年が勝負の彼ら。
だからこそ、今日まで長きに亘り、幸運であり偶然にも。
「一緒にやって来た」戦友、親友だからこそ。
「一年でも長く」一緒にプレーしたかったんだろうなと。切に。
思わずコチラは後に続く言葉を失ってしまいましたけども。
改めて。
心の底から、有り難う。有り難う、浩司君。
彼の夢は、この広島にサッカースタジアムが誕生しては。
広島の子供達が大きく成長し、彼らが“そこ”でプレーする事だそうで。
ラウンドを終えた彼と抱き合い「必ず実現しようぜ!」と、誓い合った次第。
いやぁ。
スポーツは良いなぁ。
やっぱり良いよ。
投稿日 : 2016年10月29日
『ラッキーナンバー7』