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立つ瀬

この10日、11日に広島市内で開催されたるは、G7外相会合。

現在、その只中にあるのですが、コレまでも本市では「迎える平和」を掲げ。

オバマ大統領をはじめ、世界各国の為政者へ「まずは広島を訪れて下さい」。

「そして被爆の実相を知り、感じては、次のステップへ繋げて下さい」と取り組んでいて。

かく言う私も「我々の記憶から風化させてならぬは必須」と。

長年にも亘り「平和記念資料館」へ通い続けておりますが。

さすれば、論より証拠で「まずは広島へ」の意味を肌身を持って知る事が出来る。

ゆえ、そこを「尊し」としながら、私共も「来て下さい」とのお願いに留まらず。

例えば「戦争」に関しましても、世界には国の数だけ。

否、それ以上の“戦禍の歴史”と実相があり、私ごときが強調するまでもなく。

如何なる国に属そうと「他国へも足を運び」。

過去、現在、未来の「時間軸」の中にある、母国の座標を見出せば。

重ねて、政治的な国際秩序の上での「立ち位置」を把握する事は肝要。

そこで、この度の機会を捉え、私などは過去に北米(アメリカ・カナダ)で生活するなど。

多少はアメリカにも精通しておりますモノで。

「迎える平和」のみならず「踏み出して知る平和」として、取り上げたるは。

アメリカのハワイ州オアフ島にある「アリゾナ記念館」。

時は1941年12月。

日本軍の真珠湾攻撃により、フォード島に停泊していた戦艦アリゾナは撃沈され。

艦上では乗組員1100人以上が命を落とすなど、こうした一連を機に世は太平洋戦争に突入。

終戦後は、海底に沈んだままのアリゾナを、まるで広島の原爆ドームと同様に。

「このまま記念碑として残すべきか?」「惨禍を思い出させるので撤去すべきか?」

との論争が巻き起こったのですが、当時の大統領が記念碑の建設を承諾。

1962年に「記念館」(白い長方形の建築物)が沈むアリゾナの上に建設されては。

以来、国家歴史登録財に登録されるなど、毎年、世界から170万人以上の人々が訪れています。

記念館の建物を見れば、横長の中央部分が凹んでいる事が見て取れるのですが。

これは、アメリカが攻撃を受けて人々の心が折れながら、そこで持ち堪え、復活した…

「人心の高い誇り」が表現されたデザインになっており。

本市の場合、丹下健三氏が手掛けた平和記念資料館は、グランド部分にピロティが設けられ。

(ピロティ:1階部分が吹き放ちの階段や柱のみで建造物が2階からはじまる)

資料館(建物)が2階部分に位置しては「立ち上がる人々、復興」を意図していたデザイン同様。

国は違えど、人類の共通する思想、そのコンセプトを垣間見る事が出来たりも。

話はハワイの海洋へと戻り、同記念館へは、先ずビジターズ・センターを訪れます。

ココは、いわゆる広大な敷地を持つメモリアルパーク(平地の公園)になっており。

敷地内には「戦争への道」や「攻撃時資料」の博物館や記念碑等が建立され。

その中の施設「真珠湾メモリアルシアター」で23分間の資料映像を“必ず”見た後。

シャトルボートに乗船しては、約10分ほど要して、海の上に浮かぶ記念館へ向かいます。

そして、記念館に上陸すると、眼下に丸い砲台(主砲の砲座)が大きく口を開け。

付近からは「アリゾナの涙」とも呼ばれるオイルが、未だ海面に浮かび上がって来ていたり。

青い空と紺碧の海に挟まれた真っ白な記念館の内壁には、戦死した乗組員の名前が刻まれ。

また、戦時の状態を克明にガイドで窺い知るなど、如何なる理由であろうとも。

誰の身にも「二度と戦争が降りかかってはならぬ」との感情が、静かに、強烈に、去来する。

こうしたアリゾナ記念館から、直ぐ隣りに目を移してみたらば?

現存する世界最大の戦艦「ミズーリ」が係留されていて。

そこへ行くには、シャトルバスに乗車、迂回して向かわねばなりませんが、乗船可能。

この「ミズーリ」は、第二次世界大戦をはじめ、その後も朝鮮戦争や湾岸戦争に出動。

1992年にワシントン州で退役を迎えたのですが、1998年に真珠湾内に移され。

1999年より、コチラも「記念館」として一般公開されております。

全長は230mにも及び、右舷艦尾(後方)付近には。

1945年に神風特攻機が衝突した際に生じた「船体の折れ曲がる衝突跡」も残っていて。

ミズーリで特筆すべきは、1945年8月15日の終戦後となる9月2日。

同戦艦が東京湾上につけ、マッカーサー元帥や各国の要人が立会いの下。

日本側から外務大臣など11名が出席しては、甲板上にて「降伏文書調印式」が行なわれ。

公式に第二次世界大戦の終結を迎えた舞台でもあって、当時、署名用の机が置かれていた場所に。

現在は記念プレートが埋め込まれ、今日まで残されております。

開戦と終戦「二対で一つ」とも言える記念館の話をココまで続けて参りましたが。

「ところ変われば」で、一つの戦争につきましても、国(立場)が違えば。

捉え方も国民感情も全く異なり、何もコレは、日米間に限りません。

当然ながら、過去は改編できずとも、未来は新たに描いて行ける。

世界の恒久平和へ向けて。

この度のサミットが、共同歩調の契機、好機となる事を、心から祈念しては。

為政者に限らず、迎えるに留まらず、踏み出して知り、通わすは大事なり。

いずれにせよ、先達の生き抜かれた確かなる歩みがあっての今。

この築かれた礎を忘れてはなりません。

投稿日 : 2016年4月10日
立つ瀬

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